
ミキハウスとの社会人日本選手権1回戦で敗退。ENEOS・大久保監督は全力を尽くし、悔いはなかった[写真=松村真行]
監督として都市対抗4度優勝は史上最多。アマチュア球界きっての名将がラストタクトを振った。ENEOS・
大久保秀昭監督は1992年に日本石油(現ENEOS)に入社すると、在籍5年で2度の都市対抗優勝に貢献し、96年のアトランタ五輪で銀メダル獲得。同年のドラフトで近鉄6位指名を受けた。2001年の現役引退後は指導者の道を進み06年から新日本石油ENEOSの監督に就任。08年に監督として初めて都市対抗で黒獅子旗を奪取。12年、13年には都市対抗連覇を果たし、一時代を築いた。大久保監督が14年11月限りで退任後、勝てない時期が続いた。
低迷するチーム再建は選手、指揮官としても黄金期を知る大久保監督の手腕に託された。19年12月に監督復帰すると20年から5年連続都市対抗出場。22年には史上最多を更新する12度目の優勝へ導いた。強いENEOSを取り戻すと、契約満了に伴い、社会人日本選手権前に今季限りでの退任が発表されていた。
ミキハウスとの社会人日本選手権1回戦は、0対1という緊迫した展開が続いていた。9回表に重たい追加点を奪われると、その裏に無死満塁のチャンスを作ったが得点ならず。有終の美を飾ることはできなかった。試合後の大久保監督は「まったく悔いはないです。負けたら悔しいですけど、いろいろなことを考えながら準備してやってきていましたし、選手にはありがとうという思いと、来年以降も全国で2つ3つ勝つということはどれだけ大変か、と。それを踏まえて頑張ってほしいと思います」と5年の日々を振り返った。
優勝しか認められない
今季から主将を務める丸山壮史(早大)から見た大久保監督はこうだ。
「すごく人間味があって、野球観を教えてもらった人であり、勝負事には誰よりも負けず嫌いで勝負師だったと思います。野球に対する取り組み方、試合展開の中でどういうアプローチでいけばいいかたくさん教えてもらったので、僕の野球人生にとって欠かせない方でした。大久保監督がいなくなっても強いチームというのは僕の中で常にありましたし、来年は大久保監督をびっくりさせたい。『お前ら、こんなに強くなったな』と言ってもらえるような。たぶん、言ってくれないと思うんですけど(苦笑)。ENEOSの良さを引き継いでいきたいと思います」
ENEOSは他チームよりも、規律が厳しいことで知られている。その理由は「優勝しか認めてもらえないチームでやっている以上は、そういう選手にならないといけない。日本一を求められる厳しさ、気迫、覚悟を求めるし、求められるし、というところ」と大久保監督。全国ベスト8でも祝福されない。当事者にしか分からない重圧を「個人的には重い荷物ずっと背負いながらやってましたけど、ちょっと軽くして」と表現した。今後はTD(チームディレクター)としてチームに残る。採用を担当しつつ、グラウンドでの指導も行う。「引き続き良い人材を確保しながら、声がかかったときにそういう準備ができているように、充電と勉強をしておきたいなと思います」。次期監督は大久保監督から薫陶を受けた宮澤健太郎ヘッドコーチ(明大)が昇格する。常勝・ENEOSを継承していく。(取材・文=小中翔太)