
青を基調としていたユニフォームを、社会人日本選手権から赤に変更。新たな思いで大会に臨み、準優勝を遂げた[写真=松村真行]
社会人屈指の強豪・Hondaにとって、今年は大きな出来事がいくつもあった。所属が埼玉から東京に移り、多幡雄一ヘッドコーチ(立大)が監督就任。2024年のシーズンインとなるJABAスポニチ大会を制し、幸先の良いスタートを切ったが、3度の優勝を誇り、昨年まで7年連続出場中だった都市対抗を逃してしまった。
就任1年目の多幡監督は振り返る。「もちろん悔しくて、我々の存在意義すら問われるような、都市対抗を逃すというのは、それぐらいダメージがあったんです。けれども、僕自身、切り替えて前を向くことで選手たちも切り替えられると思いましたし、きつい経験でしたけど、これを糧にもっと強いチーム、常勝チームになるべくやろうとやりました」
正捕手で主将の
辻野雄大(白鴎大)も当時は「何も考えられなかったのが本音ですけど、勝たせられなかったので、若い選手の悔しい顔を見ていると申し訳ないなと思いました」と気を落とした。都市対抗予選では好投手を攻略できず、涙をのんだだけに、テーマは明確だった。打力向上を目指し、とことんバットを振り込んだ。照準は3月のJABAスポニチ大会優勝により、すでに出場を決めていた社会人日本選手権。都市対抗の補強選手でプレーした7人も例年とは違う経験を積み秋を迎えた。
今大会からはユニフォームを青から、コーポレートカラーの赤に変更した。
ミーティングでの言葉
リベンジの舞台でエース左腕・
東野龍二(駒大)が1回戦(対NTT西日本)と準々決勝(対東芝)で先発し2試合15回1失点で、敢闘賞を受賞した。2度の肘の手術を乗り越えた左腕・
片山皓心(桐蔭横浜大)はJR西日本との2回戦を6回無失点で勝利投手となると、トヨタ自動車との決勝でも先発(2回3失点)を任された。準々決勝を除く3試合を無失点で決勝まで勝ち上がり、大会トータル5失点。東芝との準々決勝では山本兼三(上武大)が、大会史上2人目の代打満塁本塁打。準決勝では都市対抗王者・三菱重工Eastに競り勝った。トヨタ自動車との決勝で惜敗し、1985年(第12回大会)以来の優勝はならなかったが、チームは成果を残した。
主将・辻野は言う。「こういう舞台でやっていくんだぞ! というのを若い選手も経験できたのは良いことかと思います。常勝チームを作ろうと言っているので、この勝ちと負けを経験できたことを必ず来年につなげないといけない」
閉会式後、すぐに多幡監督は選手を集めてミーティングを行った。
「この1年、東京移転とか都市対抗で負けたとか、夏の練習は本当にきつくて暑い中、皆、頑張ったというのと、大阪で1勝1勝を積み重ねて4勝できたこと。そしてこの決勝でまた悔しい思いをしたこと、すべてが1年間濃密な時間だったと思いますし、あるべき姿は、全国ベスト4以上をずっとたたき出せるようなチームになろうということで、チーム作りを進める。ありたい姿である日本一にはあと一つ届かなかった。この課題を皆でつぶしてもっと良いチームになり、来年の都市対抗予選を頑張ろうと話をしました。都市対抗の(予選で)負けたあのときからよくここまで来たということで、選手には胸を張って帰ろうと言いました」
新ユニフォームで戦ったオープン戦4試合は全勝で、社会人日本選手権は4勝1敗。東京移転2年目の25年は、都市対抗で真価が問われる。(取材・文=小中翔太)