
06年に亡くなった水島樹人くん。BCLは少年の思いを受けてスタートした
BCLの選手、関係者、そしてファンは今年も特別な思いで7月を迎えた。
7月18日、新潟県糸魚川市の美山球場では「ミキトAEDプロジェクト」の協賛試合として新潟対群馬が開催された。このプロジェクトはBCLが開幕した2007年から実施され、リーグの“存在理由”に関わるものとして定着している。
きっかけは前年06年の7月。リーグ設立へ奔走する村山哲二代表のもとに、糸魚川市に住む水島正江さんから届いたはがきだった。
「次男が大好きな野球のランニング中、突然倒れ、天へ旅立ってしまいました。新潟にもプロ野球があればいいのにと言っていたのです。子どもの夢、かなえて下さい」
正江さんの次男・樹人(みきと)くんは06年7月9日、少年野球の試合前に突然倒れ、急性心不全のため9歳という幼い命で急逝した。当時、球場にはAEDが設置されていなかった。
「あのはがきがなければ、リーグはできていなかったかもしれません」。村山代表はたびたびそう振り返る。新潟にプロチームをと願っていた樹人くんや正江さんの思いに応えようと、リーグや球団関係者が心を奮い立たせて作り上げたのがBCLである。
リーグスタートと同時に始まったのがAED普及活動である「ミキトAEDプロジェクト」で、グッズなどの収益をAED購入に充て、リーグと球団はこれまでに各県の公共施設などに寄贈してきた。
選手を息子のように応援していた正江さんは9年前に48歳で、そして正江さんと一緒に選手へ声援を送っていた樹人くんの妹・奈摘さんは4年前に18歳という若さで、それぞれ心臓の病のために亡くなった。BCLは3人の思いとともに歩み続ける。
「今年も美山の夏を迎えます。選手たちの活躍と熱い想いを天国の水島家に届けたいと思います」
そう試合前に誓っていた村山代表。元気でいれば今年25歳になり、BCLでプレーしていたであろう樹人くんの分も、選手たちは全力プレーでリーグを盛り上げていく。[リポート/岡田浩人]