
筆者が巨人監督時代、2年連続で上原に開幕投手を任せた/写真=BBM
巨人・
上原浩治が現役を引退した。古巣に復帰して2年目の今季は一軍から1度も声が掛からず、ファームでも打たれていた。本人は今季限りでやめるつもりでいたようだが、シーズンが押し詰まると、クライマックスシリーズや日本シリーズがある。そのときに明らかにするとチームに迷惑を掛ける、という配慮もあっての表明だったようだ。
上原と間近で接したのは2年間しかない。私が監督をしていた2004年、05年の2年間だ。彼にはその2年とも開幕投手をやってもらった。指名するときに迷いはなかった。上原はすでに入団2年目の00年に開幕投手を務めてから4年連続で大役を担っていた。つまり、開幕投手は彼しかいなかった。
上原との思い出の中には印象に残るシーンがある。監督2年目のシーズンだったと思う。場所は東京ドームのトレーナー室。上原が治療を受けているところだった。その姿を見て衝撃を受けた。テーピングのテープが、肩甲骨の下から腰の下、ふくらはぎあたりまで伸びていた。そのテープが背中の左右に2本あった。テーピングは腰の付近にもあったかもしれない。「こんな状態で投げていたのか……」。正直なところ驚いた。
彼が入団したとき、私はユニフォームを脱いで、日本テレビの解説や、報知新聞で評論家の仕事をしていた。上原のピッチングを見る機会も多かった。最初に彼のボールを見た瞬間に確信した。「この投手は勝てる」と。ストレートが速い。スライダーにもキレがあった。フォークは今よりもさらによく落ちていた。「中央球界には無名でも、こんないい投手がいるのか!」。私だけでなく、誰もがそう思ったはずだ。
しかし、そんな彼も私の監督1年目に13勝を挙げたのを最後に2ケタ勝利ができなくなった。下半身の故障とも無関係ではないかもしれない。07年にはストッパー・
豊田清の不振もあり、抑えで起用された。しかし、この経験が後のメジャー移籍でも生きたのではないだろうか。下半身の故障をカバーするためだったのか、上体で投げるフォームがメジャーの硬いマウンドに合ったのだろう。
巨人に帰ってきてからは、さすがに衰えは隠せなかった。ストレートが走らなくなっているのはひと目見て分かった。しかし、上原という投手は頭がいい。「上原と言えば、フォークボール」というイメージを生かした。「ここでフォークを投げてくるはず」と考える打者の裏をかいてストレートを投げる頭脳的なピッチングで打ち取った。
しかし、肝心のストレートが140キロを超えなくては、頭脳的な投球も成り立たない。昨年はセットアッパーとして5敗した。シーズンを通して、セットアッパーで「借金5」は、チームの優勝の行方を左右する数字だ。あくまで私の想像だが、上原はセットアッパーとして0勝5敗に終わった昨年、すでにユニフォームを脱ぐ覚悟を決めていたのではないだろうか。
それにしても下半身に故障を抱えながら、44歳までよく投げたと思う。
江川卓、
桑田真澄、
菅野智之らエースとして巨人を支えてきた投手はそれほど多くはない。上原はその仲間に入れてもいいのではないか。今は「ご苦労様」という声を掛けてやりたい。
PROFILE 堀内恒夫/ほりうち・つねお●1948年1月16日生まれ。山梨県出身。甲府商高から66年ドラフト1位で巨人入団。1年目に16勝2敗、防御率1位の成績で新人王、沢村賞。72年には26勝をマークして最多勝、MVPに輝く。日本シリーズ11勝は1位タイ。83年現役引退。通算成績は560試合登板、203勝139敗6S、防御率3.27。巨人コーチを経て2004〜05年巨人監督を務めた。08年野球殿堂入り。現在、野球解説者。