
南海時代の門田氏。身長は低かったが体つきはガッチリしており、大きく見えた[写真=BBM]
“不惑の大砲”
門田博光さんが1月24日、74歳で死去していたことが分かった。48年生まれの門田さんは私より1歳年上だ。天理高からクラレ岡山に進んだ門田さん。68年のドラフトで阪急から12位で指名された。1位は
山田久志、2位は
加藤秀司、7位は
福本豊さんと名球会入りを3人、輩出した阪急のドラフトだったが、門田さんは入団を拒否。門田さんは福本さんと同学年で、山田、加藤は1学年下。きっと年の近い彼らより評価が低いことにプライドが許さなかったのだろう。翌年のドラフトで南海から2位指名を勝ち取り、プロのユニフォームを着ることになった。
1年目は79試合の出場で打率.250、8本塁打、31打点に終わったが、私が西鉄に入団した2年目の71年には120打点を挙げ、早くもタイトルを獲得している。そこから南海の主力打者として活躍していったが・・・
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