日本の野球殿堂入りに続いて、再び快挙の一報だった。日本時間1月22日、イチロー(元マリナーズほか)のアメリカ野球殿堂入りが決まった。資格1年目で日本人、そしてアジア人としては初の快挙。メジャー19年間で通算3089安打を放ったイチローが本当の意味でレジェンドとなった瞬間だった。
得票率は99.7%で満票に1票及ばなかった。私なんかは同じく満票にならなかった日本の野球殿堂と同じく、「ヘソ曲がりな記者がいるな」と感じたものだが、イチローは「1票足りないと言うのはすごく良かったと思います。人って、いろんなことが足りない。自分なりの完璧を追い求めていくのが人生だと思う」とカッコいいことを言う。思考回路も次元が違う。
そんなイチローとのオリックス時代のやり取りが私の脳裏には色濃く焼き付いている。確か、1996年のことだったと思う。イチローは94年に当時シーズン記録の210安打を放ち、打率.385をマークして首位打者を獲得。プロ野球界のメインストリームに躍り出てから3年目のシーズンだった。
西武でコーチを務めていた私は、オリックスとの試合で当時の本拠地である神戸へ遠征した。いつものように外野でスタメン出場したイチロー。ランナーなしのケースで背番号51のところへ飛球が上がった。それを難なくキャッチしたイチローは、内野手に返球。しかし、そのボールが山なりだった。次の守備機会でも、イチローは変わらず山なりで返球。その姿を三塁コーチズボックスから見た私は敵ながら心の中で「イチロー、何をやっているんだ」と憤った。
その日の試合後、私は食事に出掛けた。そこはイチローのお気に入りだという牛タン屋だった。1時間ほどたったころ、イチローが来店。カウンター席に座ると、私はすかさず話しかけた。
「ところでイチロー、今日のお前さんの内野手に返したボールはなんだったんだ」
「気が付きましたか」
「当たり前だ。今日みたいな返球をしていると、それが悪い習慣になって、いざというときに痛い目に遭うぞ」
ランナーのあるなしにかかわらず、カットマンである内野手へ常に低いボールで返すクセをつけなければいけない。それをしっかりと繰り返すことで、いざというときに低く、鋭い返球を行うことができるのだ。
「ありがとうございました。明日からきちんと返球します」と襟元を正したイチロー。翌日の試合で飛球を処理したイチローはピシャッとした低いボールを内野へ返した。なんだかホッとしたことが記憶に残っている。
足りないところをすぐに埋める。思えば、この繰り返しで完璧を追い求めてきたイチローは日米同時で野球殿堂入りにたどり着いたのかもしれない。
PROFILE 伊原春樹/いはら・はるき●1949年1月18日生まれ。
広島県出身。北川工高(現・府中東高)から芝浦工大を経て、71年ドラフト2位で西鉄入団。76年
巨人に移籍し、78年古巣ライオンズに復帰して80年限りで現役引退。通算成績は450試合出場、打率.241、12本塁打、58打点。81〜99年に西武で守備走塁コーチを務め、西武黄金時代の名三塁コーチとして高い評価を受ける。2000年
阪神コーチ、01年西武コーチから02〜03年西武監督、04年オリックス監督を歴任。07〜10年巨人ヘッドコーチを務め、14年は西武監督。現在は野球解説者として活躍している。