生涯一捕手として出会った大投手

剛球を誇った山口高志。その速さはケタ違いだった
私たちの時代、学校では小学5年生ぐらいまで習字の時間が設けられていた。そして正月になると、書初め大会があるのだが、私はいつも金賞には届かず、銅止まりだった。
先生は、「野村君の字はまとまっていていいけど、元気がないね」と言った。確かに「字は体を表す」と言うぐらいで、私はクラスでも元気のない部類に入っていた。
従って、習字の時間にはあまりいい思い出もないのだが、今も色紙などには筆(ペン)を取り、サインのほかに何かひと言をしたためている。そんなとき、私は座右の銘である『生涯一捕手』という言葉をよく添える。これは、人生の師となった草柳大蔵さんにいただいた言葉をヒントにしたものだ。
77年、南海をクビになったとき、私は南海で終わるか、それとも川勝傳オーナーが重光武雄オーナーに直接連絡を取って、私の獲得を勧めてくれた
ロッテに移籍して現役を続けるか、迷っていた。そのとき、42歳。プロ野球選手の“平均寿命”はとうに過ぎていた。
「禅には“生涯一書生”という言葉があります。人間は生涯勉強です」
草柳さんのその言葉で、現役続行を決めた。『生涯一書生』は作家の吉川英治さんも愛した言葉だという。以来、私の座右の銘は『生涯一捕手』になった。『生涯一捕手』として南海時代、バッテリーを組んだ1人が、
杉浦忠。このページでも何度か彼の話をしているが、彼は非常に優しい性格で、女性にもモテた。その優しさは、時としてピッチングにも出ることもあった。私がインコースを要求すると・・・
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