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野村克也の本格野球論

野村克也が語る「“意識”の重要性」

 

素直に“ブンブン丸”を封印、打率3割の好成績を残した池山


 リーグ覇者同士が戦った日本シリーズは、ソフトバンクが4勝1敗でヤクルトを退けた。ソフトバンクの強さがやたらと際立つ戦いとなったが、私なりのシリーズ総括は次週に送ることにしよう。

 ヤクルトの真中(満)監督が誕生して以降、何かにつけ「真中が野村野球を継承している」などと言われてきた。「本当かよ?」と思うのだが、彼の言葉の端々に、私がこんなことを言っていた、あるいはこんなふうに指揮を執っていた、という話が出てくるのだそうだ。例えば「野村監督は、マジックが減ろうが何しようが、まったく動じず、いつもと変わらなかった」とか。それについては、私だって緊張はしていたのだ。ただ茫洋としているから、そうは見えなかったのだろう。

 編集者には、「野村さんの教え子たちが指導者として野村野球を次世代に伝えていっていますね」と言われた。例えば池山隆寛が、来シーズンから楽天の打撃コーチを務める。彼に何も教えた印象はないが、“ブンブン丸”をやめさせたのは確かだ。

「お前、ブンブン丸、ブンブン丸と周りから言われて、いい気になってるんじゃないか。そんなバッティングをされたら、チームが迷惑する。俺も迷惑する」

 バットをブンブン、ブンブン振り回すのは、スタンドプレーみたいなものだ。そんな目立ちたがり屋ではあったが性根は素直で、すぐに“ブンブン丸”を封印。90年、打率.303、97打点というキャリアハイの成績を残した。

 素直さは、成長のために必要な要素である。もちろん真面目過ぎるのも困るけれども、真面目で素直な人間は、聞く耳を持っているところが良い。相手は誰だったか忘れたが、こんなことを話した記憶がある。

「目はなんでついているんだ。耳はなんでついているんだ。情報を得るために、目と耳はついているんだろう。しっかり見ろ。しっかり聞け」

現役時代の池山は聞く耳を持っていたから、成長を果たした[写真=BBM]


 私は二軍でくすぶっていたころ、そんなことばかり考えていた。町で目の見えない人を見かけて、「不自由やろうなあ」と思ったのがきっかけだ。目の見えるわれわれは、この社会で行動するのになんら不自由を感じない。しかし目が見えるから、社会生活において不便を感じないからといって、野球をしたときに必ずしも打てるわけではない。目が見えて、何も不便を感じないから、“見ること”を意識しなくなる。そこに“意識”があるかどうかが問題なのだ。

シーズン通して正捕手の中村はきっと成長する


 思えば、鶴岡(一人)監督にはよく言われたものだ。

「ボールをよう見てしっかり打て」

 普段はボールを漠然と見ていた。それでもわれわれにはボールが“見える”からだ。しかし、そこへさらに“ボールを見る”という意識を入れると、まったく違う。最高のスランプ脱出法は、“ボールを見る”意識。そうすれば、タイミングから何から、すべて合ってくる。

 それまで自分がいかにバッターボックスでアバウトにやっていたか、自覚したときがあった。以来、調子が悪くなればなるほど、“ボールをにらみつける”よう自分を持って行った。私は「カーブの打てない野村」で有名だったが、ボールをにらみつける意識を持つに従って、カーブも打てるようになってきた。

 さて、その池山が打撃コーチに就いた楽天は、梨田昌孝を新監督に迎えた。日本ハム監督時代には、正直そこまで強烈な記憶がない。「嫌な野球をするなあ」という印象はまったくなかった。どの監督も、選手時代に影響を受けた監督が必ずいるはずだ、という話は以前した。私だって、20年仕えた鶴岡野球が無意識のうち身についている。梨田はおそらく、西本(幸雄)さんの影響を大きく受けているのだろう。

 しかし名将・西本監督にあって私が理解できなかったのは、梨田と有田修三、2人のキャッチャーの使い分けだった。鈴木啓示が放れば有田、がお決まりのパターン。しかし私には、キャッチャー2人、3人制の意味が分からないのだ。キャッチャーは不動であるべき、というのが私の持論。だから今季、巨人の弱さは、キャッチャーをコロコロ代えたところにあると思っている。

 ましてやクライマックスシリーズ、日本シリーズのような短期決戦は、キャッチャーが最も成長する場。1球たりともおろそかにはできない。試合前の“準備野球”で相手バッターを徹底的に研究し、“実践野球”後は「あそこであの配球は正しかったのかなあ」という“反省野球”。特に日本シリーズのような大舞台になると、1球で勝負、展開は変わっていくから、キャッチャーにとってはこの上ない成長の場になる。結果はどうあれ、ヤクルトは最後まで中村(悠平)を正捕手として使い続けた。この5試合の貴重な経験は、きっと来季以降に生きるはずだ。

PROFILE
のむら・かつや●1935年6月29日生まれ。京都府出身。54年にテスト生として南海に入団し、56年からレギュラーに。78年にロッテ、79年に西武に移籍し、80年に引退。歴代2位の通算657本塁打、戦後初の三冠王に輝いた強打と、巧みなリードで球界を代表する捕手として活躍した。引退後は90〜98年までヤクルト、99〜2001年まで阪神、03〜05年までシダックス(社会人)、06〜09年まで楽天で監督を務め、数々の名選手を育て上げた。その後は野球解説者として活躍、2020年2月11日に84歳で逝去。
野村克也の本格野球論

野村克也の本格野球論

勝負と人間洞察に長けた名将・野村克也の連載コラム。独自の視点から球界への提言を語る。

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