スコアラーの主観で集めた情報しかなかった時代

1973年の日本シリーズ、中途半端な情報で投手の堀内に2本塁打を許してしまった/写真=BBM
この号が発売されるころには、クライマックスシリーズの舞台もファイナルステージに進んでいる。これまでも短期決戦の戦い方については何度か触れてきたが、あらためてキャッチャー目線で、短期決戦を見てみたいと思う。
キャッチャーとしてプレーオフ、日本シリーズなどの短期決戦に臨む際、私はあらかじめマークする選手を決めていた。そして、その選手の前にランナーを出さない。ここでわざわざ書くまでもない、要は野球の鉄則だ。バッテリーとして、失点を防ぐための鉄則である。
今は相手の詳細なビデオで研究し、キャッチャー自ら攻略法を見いだせるからいいなあ、とつくづく思う。われわれのころはビデオがなく、スコアラーがバックネット裏で試合を見て、その主観で集めた情報しか得ることができなかった。
例えば1973年、南海対
巨人の日本シリーズ。シリーズ前のチームミーティングはこうだった。
「はい、一番・
柴田勲、カーブに弱い。カーブをほうっとけ。次、二番……」
これでは到底、参考にもならない。忘れられないのは、ピッチャー・
堀内恒夫(=巨人)だ。「堀内はピッチャーながら、バッティングがいい」との情報。ピッチャーとはいえ舐めたらいかん、ということだ。しかし、そこにもう一つ、こんな“分析”が付け加えられていた。
「カーブを打つのが非常にうまい」
そこで私は、インコース主体の組み立てで堀内に臨んだ。ところが、である・・・
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