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野村克也の本格野球論

野村克也が語る「戦力外通告」

 

私は最後、西武でプレー。45歳で引退したが後悔はなかった/写真=BBM


しがみつける間は野球にしがみつく


 来る人がいれば、去る人もいる。

 この時期は、そんなことをあらためて感じさせられる。本誌12月4日号でも、「野球人のターニングポイント」なる特集を組んでいた。

 私がプロ野球選手という道を選んだのは、ひとえに貧乏から脱出するためだった。中学、高校と「何になったら金持ちになれるか」をひたすら考え、最終的に野球選手へとたどり着いたのだ。

 やがて年齢を重ね、野球を通して感じたのは、“人間は下から衰える”ことだった。下、すなわち足腰は、ボールを飛ばすにも投げるにも必要な基礎である。読者の皆さんには、“家”を思い浮かべてもらえればいいと思う。土台が崩れたら、すべてが次々崩れていく。

 だから晩年は、「なんとか下半身を強くする方法はないかな」と、そればかり考えていた。ところがどんなに一生懸命、下半身を鍛錬していっても、一定の年齢を過ぎると“強化”はもはや無理だった。人間、残念ながら年には勝てないということだ。誰が言ったか、「人間には勝てないものが2つある。それは時代と年齢だ」と。言い得て妙である。

 そうして勝てないものが出てきたころから、「野村-野球=」とはなんだろうと常に考えるようになった。答えは、ゼロ。私から野球を取ったら、何もない。だから、しがみつける間は野球にしがみついていくしかなかった。

 気がついたら、72歳までしがみついていた。楽天の監督を辞し、ついに現場からは解放されたわけだが、結局今も野球にしがみついている。ユニフォームを脱いでから、もう10年。早いものだなあ、と思う。

 戦力外通告を受けてもなお、ボロボロになるまで野球をやりたいと思う選手は多い。厳しいことを承知で言うが、戦力外で球団から放出される選手は、それなりのことしかしてきていない、ということだ。そうでなければ、球団が手放すわけがない。

 しかし、戦力外通告を受けた選手であっても、自身が気づき、何かを変えれば結果も変わる。進歩とはすなわち、変わること。今のレベルから脱却しようと思ったら、自分自身が変わらなければならない。「アイツ、よくなったな」というのは、イコール「アイツ変わったな」ということ。変わらなければ、いつまで経っても今のレベルのままなのだ。また、それを見ている人は、見ているものである。

 そこでポイントになるのは、「どう変わるか」だ。手前味噌ではあるが、私など男として、なかなかユニークな人生のサンプルだと思う。田舎の高校出のテスト生が、最後はプロ野球の監督まで務めあげるのだから。人間、誰しも可能性を持って生まれてくる。そこで望むなら、私と同じ生き方をすれば、同様の道をたどることだってできるはずだ。

後悔はなかったが寂しい引退だったわけは


 現役引退のとき(80年)を振り返れば、やはり寂しさは大いにあった。しかし、後悔はなかった。45歳まで現役を続けられたのだから。

 現役引退は、自分で決める場合と球団が決める場合がある。引退は、やはり自分で決めるべきだと私は思う。ところが巨人高橋由伸(監督)など、本人が現役続行を希望していたにもかかわらず、球団がさっさとレールを敷き、その上に彼を乗せてしまったと聞く。いかがなものか。

 私の場合は引退前、「俺はチーム(西武)に必要とされていないな」と痛切に感じていた。「俺の存在が邪魔なんだな」とも思い、引退を決意した。当時の根本(根本陸夫)監督は同じキャッチャー出身だが、私とはまったく野球観が合わなかった。根本さんは現役時代、ほとんどレギュラーで出たことがない。それゆえ補欠の選手の気持ちはよく分かるはずなのだが、キャッチャーをしょっちゅう代えていた。何度も言うように、キャッチャーはグラウンドにおける監督代行。そのキャッチャーをコロコロ代える監督が、名監督であるはずがない。

 今季、日本一になった工藤(工藤公康=ソフトバンク監督)もそうだ。彼もキャッチャーをよく代える。ある意味、ピッチャーらしいといえばピッチャーらしいのだろう。カネやん(金田正一=元ロッテ監督)とよく似ている。キャッチャーの重要性やありがたみが分からず、地球は自分を中心に回っていると思っているのが、“投手族”なのだ。

 南海から金田ロッテに移籍したのも、その後、西武に移ったのも、すべて南海・川勝傳オーナーの口利きだった。つまり、フロント主導の採用で、現場としては私が煙たかったのだ。また私もおとなしくしていればいいものを、ベンチがおかしな采配をするものだから、ついつい試合中ぼやいていたのが、監督批判と取られてしまった。

 納得のいく采配をしてくれる監督の下、現役最後を迎えたかった。そういう意味では、寂しい引退だったかもしれない。

PROFILE
のむら・かつや●1935年6月29日生まれ。京都府出身。54年にテスト生として南海に入団し、56年からレギュラーに。78年にロッテ、79年に西武に移籍し、80年に引退。歴代2位の通算657本塁打、戦後初の三冠王に輝いた強打と、巧みなリードで球界を代表する捕手として活躍した。引退後は90〜98年までヤクルト、99〜2001年まで阪神、03〜05年までシダックス(社会人)、06〜09年まで楽天で監督を務め、数々の名選手を育て上げた。その後は野球解説者として活躍、2020年2月11日に84歳で逝去。
野村克也の本格野球論

野村克也の本格野球論

勝負と人間洞察に長けた名将・野村克也の連載コラム。独自の視点から球界への提言を語る。

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