
新庄のように能力だけで生き残る選手は少ない/写真=BBM
「人気先行型のチーム」と内心、バカにしていた
監督時代、毎年シーズンのスタートにあたり、ミーティングで『野村の考え』として選手たちに口酸っぱく繰り返してきたのが、「プロ意識を持て」ということだった。プロで生き残るために、必要不可欠な要素である。
しかし、だ。
前回記したとおり、私が監督として見た
阪神タイガースには、まったくそれがなかった。ある意味、このプロ意識のなさが、阪神の“伝統”なのだ。私が選手として長く在籍した南海ホークスは、リーグこそ違えど同じ関西のチーム。ただし、いつもスポーツ紙の一面に載るのは阪神だった。典型的な人気先行型のチーム。だから、われわれは内心、阪神の選手をバカにしていたものだ。「環境が人を育てる」というとおり、歴代の阪神監督を見ても、藤本定義さん以外、名監督は出ていない。
そんなチームの監督を引き受けた私が悪かった。昔から何も変わらず、ぬるく、甘い体質。「このチームは、なんだ?」と思ったときには、遅かった。1999年、監督1年目のシーズンは最下位に終わり、翌年半ばに「もう、やめさせてくれ」とオーナーを訪ねたが、「それは困る。3年契約なのだから、そこは全うしてもらわないと」と慰留された。「私の手には負えません」と言っても、契約は契約。結局、さらにムダな2年間を送ることになった。
要は、タニマチ球団なのだ。大阪だけでなく全国どこへ遠征に出かけてもタニマチがおり、選手は連日、彼らに誘われ、夜の街へと出かけてしまう。遠征先のホテルに残っているのは、いつもマネジャーと私だけだった。なぜ誰も不思議に思わないのだろう。
もちろん、プロ野球は人気商売だ。熱心に応援、後援してくれるファンあってのものである。しかし阪神は、その一面に甘え切っていた。もし田舎の高校生だった私が阪神に入団していたら、おそらく今はなかっただろう。
私が監督をしていた当時の選手でいえば、
新庄剛志はまさに典型的な阪神の選手だった。プロ意識はまったくなし。自分のためだけに、野球をやっているように感じられた。私も長いこと監督を務め、
大勢の選手を見てきたが、あれはまさに“変人”選手の代表格だ。
彼と話をしていて、これは子ども扱いどころか、赤ちゃん扱いしたほうがいい。好きにやらせたほうがいいと思った。そこで、彼に聞いた。
「お前、9つのポジションで一番やりたいのはどこだ?」
すると新庄は・・・
この続きはプレミアムサービス
登録でご覧になれます。
まずは体験!登録後7日間無料
登録すると、2万本以上のすべての特集・インタビュー・コラムが読み放題となります。
登録済みの方はこちらからログイン