週刊ベースボールONLINE

野村克也の本格野球論

野村克也が語る「ゲン担ぎ」

 

現役時代、人一倍にゲンを担いだ筆者/写真=BBM


肉を食べないと力が出ない気が……


 読者から、こんな質問をいただいた。

イチロー(シアトル)選手が毎朝カレーを食べるなど、プロ野球選手はゲン担ぎをする人が多いと聞きます。野村さんも何かゲン担ぎをしていましたか?」(埼玉県・Nさん)

 プロ野球は、勝負の世界。やはり何かにすがりたくなる。あるいは、縁起の悪いことを避けて通りたくなる。

 例えば、球場入りする道順。まず、占いで縁起のいい方位があれば、そこから球場へ入ることを考える。次に、道順。勝ったときの道順を“縁起のいい道”として、翌日も通る。縁起のいい、悪いを考え、わざわざ遠回りして行くこともあった。

 食べ物もそうだ。

 私の場合、夕食を和食メーンで食べた翌日の試合は、大概4タコに終わった。肉を食べないと、どうにも力が出ないのだ。私の思い込みか、過去の経験からくる頭の中への刷り込みか、肉を食べないとボールが飛ばなかった。

 そのため1日2食、肉をメーンに食べ、2、3時間後に寿司などの和食をデザート代わりに食べていた。まあ、現役時代は、よく食べたな。先輩たちにはいつも、「お前はよう食うなあ」と冷やかされていた。

 人はどうか知らないが、野球は肉体労働だから、『食べるのが仕事』と私は思っていた。だから『食事を軽く済ます』のは、私の中ではNG。食べるのがつらいようなときでも、「これも仕事のうち」と思い、極力食べた。

 食事をする場所にも、縁起を担いだ。ここの肉を食べると勝つ、あそこの肉を食べると負ける。また、打てる店があれば、打てない店もある。当然、打てない店、負ける店は避けるようになる。

 しかし本当のところ、そんなことを言っているのは自信がない、力のない証拠。己の実力不足を棚に上げ、打てない原因を別の何かに押し付けているわけだ。自信があれば、縁起のいい方向とか食べ物とか、そんなことは考えもしないだろう。

名選手ほど道具に感謝し、大切にする


 野球用具に関していえば、縁起を担いだのはバットだった。さすがに1打席、2打席ヒットが出なくても替えなかったが、4打席ヒットが出ないときは、別のバットにした。実力がないから、縁起担ぎばかりしていたな(笑)。

 私が現役時代に使っていたのは、米国ルイスビル社のバット。ルイスビルのバットは日本製のものに比べて弾きが良く、気に入っていた。ただ難点は、バットがよく乾燥しているぶん、木目に沿って割れやすいこと。そこで私は、練習では日本製のバットを使い、試合でルイスビルのバットを使った。

 試合用のバットは毎年シーズン前に3ダースほど買うのだが、実際振ってみて、試合で使えるバットは1ダースに2本程度。あとは練習で使ったり、若い選手に譲ったりしていた。

 背丈ほどもあるバットケースを作ってもらい、使わないバットは家に保管した。バットが湿気ると、重さが微妙に変わるためだ。

 バットの手入れも、家でした。大きな板の上に牛の骨を固定し、その上でバットをこする。そうすると木目が詰まり、打った感触が良くなるのだ。体重をかけてこすらなければいけないため、時にはしんどいこともあるのだが、それでバットにパワーが生まれると思えば、苦もなくできた。

 そんなふうにバットに対する愛情、愛着があったから、やはり人に触られるのは嫌だった。

 キャッチャーミットは、平均して年に2個半ほど使った。新しいものを下ろしたら、キャンプ、オープン戦で型を作っていく。キャッチャーミットは使い込むと、破れてしまう。だから常に破れることを想定し、2つ、3つは用意していた。

 昔、南海ホークスに木塚忠助さんという名ショートがいた。「阪神吉田義男か、南海の木塚か」と言われた、球界を代表する名手だった。木塚さんは自分のグラブを絶対人には触らせなかった。

 ある日、たまたまベンチに置いてあった木塚さんのグラブを、新聞記者がひょいと手に取り、キャッチボールを始めた。そのときの木塚さんの剣幕といったら!

 その気持ちは、私も分かる。私も木塚さんほどのこだわりはなくても、自分のミットを他人に使われるのは嫌だった。縁起とか気分的なものではなく、実際に自分ならではの“型”があるからだ。手を入れたときの感覚、ボールがミットに入るポジション……人に使われると、どこか違ってくるように感じた。

 道具は“命”。ヘボな選手ほど、道具に対する思い入れが少ないし、手入れもしない。名選手ほど道具のありがたみを知り、大事にするものだ。

PROFILE
のむら・かつや●1935年6月29日生まれ。京都府出身。54年にテスト生として南海に入団し、56年からレギュラーに。78年にロッテ、79年に西武に移籍し、80年に引退。歴代2位の通算657本塁打、戦後初の三冠王に輝いた強打と、巧みなリードで球界を代表する捕手として活躍した。引退後は90〜98年までヤクルト、99〜2001年まで阪神、03〜05年までシダックス(社会人)、06〜09年まで楽天で監督を務め、数々の名選手を育て上げた。その後は野球解説者として活躍、2020年2月11日に84歳で逝去。
野村克也の本格野球論

野村克也の本格野球論

勝負と人間洞察に長けた名将・野村克也の連載コラム。独自の視点から球界への提言を語る。

関連情報

新着 野球コラム

アクセス数ランキング

注目数ランキング