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野村克也の本格野球論

野村克也が語る「楽天監督交代」

 

平石監督代行はどのようにしてチームを立て直すか/写真=小倉直樹


私も監督就任は30代半ばだった


 楽天梨田昌孝監督が辞任。これで今や、キャッチャー出身の監督が12球団にいなくなってしまった。

 まだシーズンは約半分。最下位と決まったわけでもないのに、随分、早い決断だった。梨田自身、「借金20」を辞任のラインと決めていたようだ。そして6月16日、楽天はそのラインに達した。

 梨田の辞任から間もなく、ヘッドコーチ・平石洋介の監督代行昇格が発表された。平石は、ご存じ『松坂世代』の一人。1998年夏の甲子園、準々決勝で松坂大輔(現中日)擁する横浜高と、延長17回の大熱戦を演じたPL学園高の主将である。平石はその後、同志社大、トヨタ自動車を経て2005年、ドラフト7巡目で楽天入りした。

 つまり06年から09年、私の楽天時代には監督─選手として接していたということだ。しかし正直なところ、彼の印象はほとんどない。ただ、少年時代からずっとチームのキャプテンを務めてきた人格の持ち主と聞いた。引退後は楽天初の生え抜きコーチとなり、35歳の若さで二軍監督に就いている。今回、代行ではあるが38歳での監督就任も、球団史上最年少となるそうだ。

 若くしてトップに立つことの難しさは、私も身に沁みて感じてきた。私が南海で兼任監督に就いたのは、35歳のとき(70年)。川勝傳オーナー直々に就任要請を受け、光栄に思いながらも、初めは丁重にお断りした。最大の理由は、やはり監督業と選手業──しかも、キャッチャーと四番の二役──を兼任するなど、どう考えても無理な話だったからだ。そもそもキャンプから、監督業を優先させれば選手としての練習がまったくできず、練習を優先させれば、監督としてのチーム作りができなくなってしまう。

 最終的には、自分の2倍近い年齢のオーナーに平身低頭「君しかいない」と懇願され、首をタテに振らざるを得なかった。当然チームには、私と同世代の選手が何人もいた。表に出すことはなかったが、心の中では自分の若さについて、引っ掛かるところもあった。

 だが就任間もなく生じた問題は、若さではなかった。私が監督になったとたん、盟友と信じていた杉浦(杉浦忠)をはじめとする数人が、次第に私に背を向けて離れていったのだ。「チームを一つの方向にまとめる」ことなど、それでは到底無理である。

 あのころが一番つらかった。私はテスト生から必死にはい上がり、四番バッターにまで上り詰めた。その座を簡単に手放したくはない。しかし監督に没頭すれば、その分、選手業に支障が出るだろう。それでなくてもつらいのに、「なんだ、この仕打ちは」と思った。

自分たちの決めた監督を見守って


 さて平石監督代行就任の船出は、2連勝。不思議なことに、昔から代理監督が指揮を執ると、決まって白星スタートになるものだ。負けが込み、たるんでいた気持ちが、監督退任でギュッと引き締まるのだろう。それほど選手一人ひとりの気持ちの持ちようは大きい。野球とは、チームスポーツとは、怖いなと思う。古い話だが、南海時代に鶴岡(鶴岡一人)監督が休養し、蔭山(蔭山和夫)ヘッドが監督代行を務めたときも(62年5月26日〜8月7日)、やはり勝った記憶がある。シーズン半ばに監督が代わると、チームの空気が一変するということだ。

 それにしてもこの時期、借金20を抱えた状態からのチーム立て直しは、非常に難しい。私も一応、楽天OB。この先どうなるか、大いに気になっている。

 球団社長は、「残り80試合、50勝30敗で戦い、勝率5割にしてほしい」とコメントしたそうだ。私の監督時代は、オーナー以下フロントも一切現場に口は出さなかったものだが、私が辞めた途端、姿勢が変わったのか。だいたい、フロントが現場の方針に口を挟むようになると、ロクなことはない。チームに勝ってほしい、チームを強くしたい気持ちで言っているのは、よく分かる。しかし、自分たちが選んだ監督ではないか。言葉は良くないが、心中するくらいの気持ちで見守っていてほしい。

 野球は、団体競技。監督から裏方まで、全員が方向性を同じくしているかどうかが、“本物の野球”の原点になってくる。「全員が心を一つに」と言うは易し、行うは難し。ましてやプロの場合、そこにカネが絡んでくるわけだ。欲から入って、いかに欲から離れるか。これは容易なことでない。人間はみな、自己愛に生きている。さらにチームの順位が怪しくなればなるほど、誰もが個人成績に走っていく。契約自体が成績で決まるのだから、さもありなん。故に、プロの監督は難しい。いかに全員を同じ方向に向かせるか。過去の楽天OB監督も恐怖で動かす監督、理論で動かす監督……と十人十色だった。さて、平石はどの監督から最も薫陶(くんとう)を受けているかな。

PROFILE
のむら・かつや●1935年6月29日生まれ。京都府出身。54年にテスト生として南海に入団し、56年からレギュラーに。78年にロッテ、79年に西武に移籍し、80年に引退。歴代2位の通算657本塁打、戦後初の三冠王に輝いた強打と、巧みなリードで球界を代表する捕手として活躍した。引退後は90〜98年までヤクルト、99〜2001年まで阪神、03〜05年までシダックス(社会人)、06〜09年まで楽天で監督を務め、数々の名選手を育て上げた。その後は野球解説者として活躍、2020年2月11日に84歳で逝去。
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勝負と人間洞察に長けた名将・野村克也の連載コラム。独自の視点から球界への提言を語る。

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