すい星のごとく現れ、阪神の勝ち試合には欠かせない存在となった。昨年3試合登板で防御率18.00だった22歳の右腕がセットアッパーとして仁王立ちし、最優秀中継ぎ投手までも獲得した。当然、岡田彰布新監督の構想の中にも入っている。若き右腕は、1年で満足することなく、来年もさらなる進化を目指し、自分探しを続けていく。 取材・構成=椎屋博幸 写真=BBM 
今季チーム最多の59試合に登板し43ホールド、防御率1.09というとんでもないピッチングでファンを魅了した
打たれてある感情が宿る
未知との遭遇の1年だった。いつどういう疲労がくるのか。いつ打たれだすのか……。それでも恐れず腕を振り続けたシーズンだった。そこで見えてきたものは、あらためて1年間、投げ続けることの難しさでもあった。 ──今季、初のフルシーズンでの活躍でした。やり切った実感はありますか。
湯浅 シーズンが終わった次の日にどっと疲れが出ました。普段と違った感じの疲れがあったので、そのときに実感しました。
──それはどういう疲れが出たのでしょうか。
湯浅 目が覚めて、ベッドから起きようとしてもなかなか起き上がれなかったんです。体がめちゃくちゃ重かった。シーズン中でこの日だけです、こういう感じになったのは。いろいろと知らない間に、気が張っていたんだな、そしてそれが終わった瞬間に一気に気が抜けたんだな、と思いました。
──これがシーズンを戦い抜いた疲労なんだと。
湯浅 1年間やってみて、1年投げ続ける難しさを本当に実感しました。実際にやっているときは難しいとは思わなかったのですが、終わってみて、シーズン途中にリフレッシュ目的で抹消(6月6日から)してもらった期間があったことで、最後までやり切れたのではないかなと思っています。
──その期間があったことが最後まで走り抜けられた要因だった。
湯浅 矢野(
矢野燿大前)監督や福原(
福原忍現二軍投手コーチ)さんや金村(
金村曉前投手コーチ)さんには本当に感謝しています。
──それは終わってみてから、あの10日間が、という思いになったのですね。
湯浅 終盤になって思い返したときに、あの登録抹消の前の時期の感覚が一番よくなかったなあ、と。終盤に行けば行くほど、あの抹消があってよかったなと自分の中で強く思うようになっていました。
──感覚がよくなかったとはどういう感じだったのでしょうか。
湯浅 感覚よく投げられてなかったんです。その中でいかにいつもどおりに投げられるか、工夫していました。それでも投げていて気持ち悪いという。ストライクがもう入らないんじゃないかと思うくらいの感じでした。今までに味わったことがない感覚でした。
──その10日間の調整はうまくいったのですね。
湯浅 抹消前と比べて・・・
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