17年の現役生活でレギュラーとして1年間、出続けたことはなかった。しかし、貴重な第二捕手として巨人、中日で存在感を発揮。明るいキャラクターもファンに親しまれた。誰からも愛された男・小田幸平が、自らの野球人生をじっくりと振り返る。 まだ野球にピリオドを打ち切れなかった
――引退決意までの経緯からお教えください。
小田 10月1日に中日から戦力外通告を受けたあと、「引退試合を用意する」というお話もいただいたんですが、まだ現役を続けたかったので、お断りしました。その後、独立リーグからプレーイングマネジャーの要請がありました。僕自身、まだ野球に対してピリオドを打ち切れなかったので、ちゃんと打っておきたかった。だから初めは、(独立リーグで)もう1年プレーし、けじめとしてそのオフにやめようかなと思いました。ところが先方に話を聞くと、やるからには勝ちたい、泥まみれになりたいという自分の野球観とは少し違いがあった。それでお断りを入れ、NPBの球団からのオファーを待ちました。
――そしてついに1月25日、引退を発表なさった。
小田 そんなに突っ張っていても仕方がないなと思いました。11月、12月、1月と、本当に苦しかったですね。いつ声を掛けてもらってもいいように、体の準備もしていたのですが。
――「まだまだできる」という気持ちがあったわけですね。
小田 と思って、やり続けていました。僕はずっと2番手。レギュラーを取っていないので、プライドはありませんでした。ただ、「野球がしたい」という気持ちが強かった。とはいえ自分の中で、17年もプロでやっていたのだから、必要とされればオファーは来るだろうという思いもありました。「僕を取ってください」ではなく、「お前が欲しい」と言われるところに行きたかったので、最終的にはあきらめがつきました。
――気持ちの整理はつきましたか。
小田 はい。選手としての、自分の17年間は終わりました。野球を始めて約30年ですが、選手としての自分には「お疲れさん」という感じです。

98年ドラフト4位で巨人に入団した。1位は高橋由伸だった[左列前から2人目が小田]
――17年を振り返ると?
小田 プロに入ったとき、清原(和博)さん、松井(秀喜)さん、
石井浩郎さん……と、キャンプから場外にホームランをボンボン打つようなすごい人ばかりで、「これは来るところを間違えたな」というのが、第一印象。「どうやって生きていこうかな」と思いました。普通に勝負しても絶対、僕は負ける。そんなとき、桑田(真澄)さんに・・・
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