トレード、FA移籍、人的補償。プロ野球で移籍する手段のすべてを経験した。勝てないチームで育ち、勝たないといけないチームでマスクをかぶり、古巣復帰で勝つことの素晴らしさを伝え、人気チームで正捕手争いをした。最後まで正捕手にはなれなかったが、そのすべてをひっくるめて鶴岡一成は「最高の時間だった」と語った。 取材・構成=椎屋博幸、写真=早浪章弘、BBM まさか自分が若手を応援するとは
──現役を退いて約2カ月が過ぎました。
鶴岡 引退直後は体を動かしたいな、汗かきたいな、と思って自転車をこいだりしていました。でも、今ではゆっくりしようかなと思って……のんびり過ごしています。毎日秋季キャンプなどのニュースを見て、みんな頑張っているなあ、と思っていますね。そのニュースが流れても、今のところは現役に戻りたいとは、思わないです(笑)。
──そうですか。ではまず、引退を決めた経緯を教えてください。
鶴岡 二軍の最後の試合(9月25日
ソフトバンク戦=タマスタ筑後)で先発したときですね。その前に、(9月12日に)ファームに降格になってから、引退が頭の中に出てきた。それで最後の試合が終わったときに、引退しようと。
──開幕前には、そういうようなことは……。
鶴岡 もちろんないです。正捕手になるつもりでしたから(笑)。ファームスタートではあったですが、何とか戦力になりたいと思っていました。でも一軍に上がったときに、若い捕手も頑張っているのを見て、そういう気持ち(引退)になったようなところもありましたね。
──若手が頑張っていたから……。
鶴岡 なんて表現すればいいのか分からないのですが……ふと若手捕手たちを見ながら「頑張れよ!」という気持ちになっていたんです。プロ野球選手なら、試合に出たい、負けたくないという気持ちがなくなったら終わりだと思うんです。でも彼らに対して闘争心がなくなったというか……。それを思ったときに、オレはこれで終わりなのかなと思いました。そして、二軍の最終試合の後「さあ来年も」と考えたときに・・・
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