惜しまれつつも今シーズン限りでユニフォームを脱いだ選手へのインタビュー『惜別球人』が今年もスタート。第1回は、甲子園を沸かせ“ハンカチ王子”の愛称で大フィーバーを巻き起こした右腕に聞く。アマチュア時代からスポットライトを浴び続けた存在としては、プロ11年間で89試合15勝26敗の数字は物足りなく映るかもしれないが、故障と向き合い積み上げた軌跡は、ファンの心に刻まれている。 取材・構成=滝川和臣 写真=高原由佳、BBM 
プレッシャーから解放されたからか撮影ではリラックスした表情
引退決断までの葛藤 札幌でのラスト登板
インタビューを行ったのは神宮球場が見下ろせる都内のホテル。東京六大学では、早慶戦で3万6千人の超満員にふくれあがった観客の視線を釘付けにした懐かしの場所だ。2021年10月末、誰もいない球場を見ながら「この角度から見るのは初めてですね」と穏やかに笑い、斎藤佑樹は取材の席についた。11年間のプロ生活に別れを告げた現在の率直な気持ちを聞いた。 引退試合から、数週間。まだトレーニングもしているので、引退したという実感は湧いていません。ユニフォームを脱いだから、「もう動かなくてもいいや」というよりは、僕は動いていないと気持ちが悪くなってしまうんです。食事の内容が変わったりとかもないですね。毎日を忙しく過ごしたいタイプなので、いろいろな友人、知人とオンラインで連絡を取り合ったり、予定を入れたりしています。マウンドが懐かしい、野球が恋しいという感情もあまりなくて、普段のオフシーズンに入ったような感覚でしょうか。これからは分からないですけど。
10月1日に引退発表を行い、3日の千葉・鎌ケ谷での最後の登板で号泣。17日の引退試合は笑顔で札幌ドームのマウンドを降りたが、ベンチで栗山英樹監督に声をかけられると涙があふれた。試合後のスピーチでは「ファンの皆さんも含めて、僕が持っているのは“最高の仲間”です」とメッセージを送ったあと、清宮幸太郎、吉田輝星ら後輩たちが登場曲『勇気100%』を合唱するメッセージビデオが流れるサプライズ。鎌ケ谷の仲間が歌う中、晴れやかな表情で札幌ドームを1周し、ファンに別れを告げた。 ファームの鎌ケ谷、一軍の札幌で、ああいう形で投げさせていただいたのは、ありがたかったです。鎌ケ谷の試合は、泣くなんてまったく思っていませんでしたが、(清宮)幸太郎の涙でもらい泣きをしてしまいました。試合前にはそんな雰囲気はまったくなかったのに、どこでスイッチが入ったのか、僕が投球練習を終えると、一塁の幸太郎がマウンドまで来て涙を流しながら声をかけてくれた。それに対して僕もつられてしまった。
札幌での引退試合のほうが勝負に対して、集中していました。相手は優勝を争っている
オリックスで打者1人の勝負。しかも、1点リードの展開で、これで負けたら先発した上沢(
上沢直之)の勝ちも消してしまうし、抑えないといけないという気持ちが強かった。何がなんでもアウトを一つ取りたいという思いで投げました。結果として四球になってしまったので、引退試合で自分の持っているすべてを出せたかという点では何とも言えませんが、ここ最近の感覚では肩の状態も良く、変化球もツーシームとチェンジアップを使いながら腕を振って投げられたと思います。最後のボールはツーシーム。狙いどおりのボールだったので、悔いはないです。

10月17日の引退試合では札幌ドームのスタンドを埋めたファンに感謝の気持ちを伝えた
スピーチのあとに、拳士(
杉谷拳士)が映像で登場して、僕の登場曲を鎌ケ谷のみんなが歌ってくれた……本当にありがたいです。あんなに盛大なセレモニーをやってもらった上に、最後に最高の贈り物をしてくれて。映像が流れる前は、僕は泣いてグラウンドを1周するのかな、とも思っていたんですけど、まったくそういう感じじゃなくなりましたよね(笑)。今、振り返ってみてもすごく良かったです。なんて言うのかな、いい意味で裏切ってくれたというか。スタンドにいるファンも楽しめたと思います。スピーチの「ファンの皆さんも含めて、僕が持っているのは最高の仲間」は、直前に考えて用意しました。日ごろ思っているところを素直に言葉にした感じです。あらためて、僕がここまで来られたのはいろいろな方のおかげで、長く野球ができたという思いがすごく強いです。
昨年10月に右ヒジじん帯の断裂が判明し、保存療法での早期復帰を目指した。同時に・・・
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