惜しまれつつも現役引退を決めた選手へのインタビュー『惜別球人』が今年もスタート。第2回は、大阪桐蔭高の2年時に1型糖尿病を患いながらも、阪神に入団し16年間、縦縞一筋に腕を振ってきた左腕だ。病気と向き合い、一歩ずつ前進してきた姿に多くのファンが勇気をもらったはずだ。 取材・構成=椎屋博幸 写真=宮原和也、BBM 
10月31日の引退セレモニーでは最後のマウンドへ。しっかりとストライクを投げた
流れの中で生きている
10月26日の今季最終戦(対中日戦=甲子園)。試合後に行われたセレモニーは豪華だった。試合前のファースト・ピッチ・セレモニーでは3人の子どもたちが登場した。それだけ阪神ファンに愛された男でもあった。「自分がこんなにやってもらっていいものか」と謙そんしたが、その心持ちがファンを魅了していたのだ。 ──引退を決めて、子どもたちにはどういう説明をしたのでしょうか。
岩田 前々からプロ野球選手には引退があるから、その後はどうなるんやろねえ、というジャブは放っていました(笑)。子どもたちは、それなりに捉えていたのかな、と思います。
──16年間のプロ野球生活は苦しかったこと、楽しかったこと、どちらが思い出に強く残っていますか。
岩田 どちらかというと、苦しかったことの中に、楽しかったこと、うれしかったことがちょこちょこ入っていた感じですね。

地元の大学から、地元の球団に入団。活躍しないとすぐにクビという重圧もあった[前列右]
──ずっと大阪で育ち、縦縞を着てプレーしました。プレッシャーなどはありましたか。
岩田 僕自身は実はタイガースファンではなく、親の影響で、
巨人ファンだったんです(笑)。ただ、地元ということでのプレッシャーはありました。地元だからこそ、やらないとすぐに終わってしまうと思っていましたね。
──その中でプロ1年目は1試合のみの登板でした。
岩田 1年目が終わったときには、これはやばいな、と。ほかのドライチで入団した他球団の、しかも同じ大学卒の同級生の活躍がどうしても目に入る。「オレめっちゃ遅れている」と。ケガ持ちで入ったので仕方ないのですが、まずケガを治さないといけないと思っていました。
──2年目は4試合登板のみに終わりました。
岩田 2年目の途中まで、めちゃくちゃオーバースローで投げていたのですが、ストライクが入らなくなってしまったんです。そこでどうしようかな、と考えていたときに二軍の投手コーチ陣から「少し腕の出る位置を下げてみるか」という提案をもらい、投げてみたら感覚も良かったですし、ストライクも入るようになってスライダーもめちゃくちゃ曲がる。これならいけるかも、という気持ちになりました。それと、やはり真っすぐの精度が上がり、しっくりきたことが僕の自信にはなりました。
──08年は開幕先発ローテーションに入り、開幕2戦目を任されました。
岩田 オープン戦から無失点で来ていました。点を取られない投手はいいピッチャーの証しなので、そういう部分で自分自身に自信が持てるようになってきました。ただ、2戦目と言われたときは、驚きもあまりなく「そうなんや」という感じで、今までやってきたことをやるだけかなという思いだけでしたね。
──何かそういうところは、あまり表情を変えない岩田投手のイメージに近いですね(笑)。
岩田 僕自身は・・・
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