ドラゴンズの背番号29を20年にわたって背負い続けてきた。安定感のある投手ではなく、常に危険が漂うピッチング。それでもゾーンに入ったときの快投は手がつけられなかった。日本シリーズでの“パーフェクト投球”は今もなお語り草だ。すでに中日の二軍投手コーチとして第二の人生を歩み始めている。 取材・構成=牧野正 写真=川口洋邦、BBM 
引退試合でファンに別れのあいさつ。「記録よりも記憶に残る選手と言ってもらえたこと、誇りに思います」
投げながら引退を決意 最後の1年はやり切った
143キロの真っすぐとキレ味鋭いスライダーを投げ込み、20年間のプロ生活に終止符を打った。10月13日のヤクルト戦(バンテリン)。今季初の一軍マウンドは引退試合となった。ファームで開幕から先発ローテーションを守って結果を残してはいたものの、最後まで出番は回ってこなかった。43歳の球界最年長投手は少しの悔いを残しながら、ユニフォームを脱ぐことを決めた。 ――引退試合で投げたボールを見れば、多くの方がまだまだできると感じたのではないかと思います。
山井 気合い入っていましたからね。でも一人だけだと分かっていたし、あのまま続けて投げていたらどうなっていたかは分かりませんから。まあでも43歳の体の割には痛いところもなかったし、ちょっとは動けたのかなと。
――あらためて引退を決意した理由を教えてください。
山井 今年は立場的にもチャンスが少ないというのは分かっていました。でもいつか必ずチャンスが来ると思っていて、そのときにそのチャンスをつかまないと次はないぞくらいの強い気持ちで臨んでいました。それは今年に限らず、ここ数年のことですけどね。ファームの先発ローテーションで投げ、自分なりにチャンスを待っていましたが、なかなかお呼びがかからない。あれよあれよという間に月日が経ち、8月になって9月になって……一軍の試合日程を見れば、どこが連戦になるかは分かるじゃないですか。そのあたりかなとも思っていたんですが、そこでも呼ばれなかったので、これはもうそういうことなんだなと。
――そこで引退しようと?
山井 いや、まだそのときは考えていませんでした。9月の下旬に球団に呼ばれて「来季は契約しません」と言われたのが始まりですね。球団からそう言われたら続けたくてもできませんから。ただそのときは「分かりました」と答えましたが、自分の中ではまだ(引退を)決めたわけではなかったんです。というのも翌日の
広島戦(9月24日/由宇)に先発する予定だったんです。その仕事をしっかりと果たしてから考えようと。でも、できませんでした。もし来季も現役を続けようという気持ちが自分の中にあるのなら、投げているときに、何くそ、見返してやるぞ、くらいの気持ちになっていたと思うんですが、投げているときに感じていたのは、これがもう最後だろうな、終わりなんだなと。ですから投げ終わってからというより、投げながら(引退しようと)決めた感じです。
――チャンスがなかったこと、戦力外となったことに悔しさはありませんでしたか。他球団は考えましたか。
山井 7月くらいまでに7勝していましたからね。どこかでチャンスは来るかと思っていましたが、それはもちろん悔しかったですよ。でもそれは言っても仕方のないこと。他球団というのは・・・
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