19年間、ホークスを貫いた。最後まで駆け抜けた。不動の主力にはなれなくとも光り続けた切り札としての存在感。これからもチームのために――。その思いは変わらない。 取材・構成=菅原梨恵 写真=湯浅芳昭、佐藤真一、BBM 振り切った現役生活
野手最後の“ダイエー戦士”だった。規定打席到達は19年間でわずか1シーズンだけ。それでも、明石健志がチームに欠かせない存在だったことは、このキャリアが物語っている。 ──すでに第2の人生も始まっていますが、あらためて19年間の現役生活を振り返って今、何を思いますか。
明石 素晴らしい球団、良き監督、コーチの方、先輩、後輩、同級生、家族、ファンの皆さんに支えられて。本当にうれしく思いますし、やめたあとも感謝の気持ちでいっぱいですね。しんどいこととかもいろいろありましたけど、ホークスでやってきて引退できたのが、本当に誇りに思える。いい野球人生でした(笑顔)。
──引退会見のときに、自らの決断について問われて「もう無理だと思ってしまった」と。すごく重みのある言葉でした。
明石 2019年の2月に腰を手術したんですよね。痛めてからなかなか回復しなくて、日常生活にも支障が出て。病院を受診したところ、手術の選択肢しかない、とのことでした。術後は前の状態に比べたら動けるようにはなって、だからここまでやってはきたんですけど、でも、やっぱり違和感というのはなくならなかったんです……。
──腰の影響が大きかった、と。
明石 野球って結構ひねり動作が多いじゃないですか。腰に違和感を抱えたまま、打撃も走塁も守備も全部に反応していかないといけない。それでも徐々に良くなっていくんだったら、できるなというのもありましたが、どんどんパフォーマンスも低下していって。自分の思ったように体が動かせなくなった。可動域が制限されるんですよね。腰のことを気にしたまま過ごして、そしたら今度は速いボールを打ち返せなくなってきたり。自分の中で何をしても……という感じでした。
──体の面が思うようにいかなくなって、気持ちの面も……。
明石 ケガをカバーできなかった僕の技術のなさでもある。ケガをするって、それをカバーできる技術さえあればいい。いろいろ試したりはしましたが……。
──それが、腰のケガから3年半たっての決断になったわけですね。
明石 年齢も30代後半に入ってきて、体のキレだったり、絶対に落ちてはくるので。そういうのもいろいろと重なったりして、ですね。メンタルもそうです。僕の引き出しみたいなものがなくなってしまった、と言ったらそれだけなんですけど。どうやってこの腰の状態でプレーをして結果を残そうか、とずっと思ってやってきましたが、簡単なことではない。最終的に引退、となってしまいますよね。でもなんか、後悔もなく。やり切ったというより、振り切ったかなと思ったので。
──最後はPayPayドームで、たくさんのファンに見守られての引退試合(9月24日の
ロッテ戦)。どんな思いで臨んだのでしょうか。
明石 家からドームに行って、練習とかは全然、いつもどおりという感じでした。でも、やっぱり試合が始まったら・・・
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