硬式での投手経験が1年足らずという異色の経歴の持ち主だ。野手として過ごした大学時代を経て、軟式野球で投手としてプレー。その後、独立リーグでクローザーとして頭角を現した。最速148キロ右腕は、経験不足を補って余りある野心にあふれている。 取材・文・写真=高田博史 ![](https://cdn.findfriends.jp/img.sp.baseball/show_img.php?id=165&contents_id=p_page_055)
躍動感あふれる投球が松本の身上だ。14年には軟式の高松宮杯賜杯全国大会で4強を経験している[写真は四国IL]
野球は大学で終わるつもりだった
いろいろな人から「苦労しましたね」と言われる。だが、
松本直晃の胸の内には「苦労した」感がまったくない。むしろ、うまくいき過ぎるくらい物事がうまく進んだ。そう思っている。
ドラフト当日も、まさか自分が指名されるとは思っていなかった。
「その、なんて言うんですかね。『そんな簡単に行けるかい!』と思っていたんですけど」
投手として本格的に硬球を握り始めたのは、四国アイランドリーグplus・香川オリーブガイナーズに入団した今季からである。たった1シーズンの挑戦で、NPBへの切符をものにした。今回のドラフト指名選手の中で最後となる(育成枠指名を除く)88人目、
西武から10巡目で指名を受けた。
環太平洋大時代は遊撃手、主将を務めた4年時には三番・右翼手として活躍した。2学年上に
亀澤恭平(
中日)がおり、同期に
又吉克樹(中日)がいる。ともに四国リーグからNPBへと羽ばたいて行った2人がいた。
だが、野球はもう、大学で終えるつもりだった。卒業後、鳥取にある医療法人・養和会に就職する。そこには、これからチームとして動き出そうとしている軟式野球部があった。
「一から野球部を作っていくということが、すごく興味深かったですね。野球がやりたいうんぬんじゃなくて『野球部を作っていく』という意味で、やってみたいなと純粋に思いました」
老人介護関連の仕事をする傍ら、練習場となる米子市営のグラウンドを整地し、芝を刈り、ベースをはめ込み、マウンドを造った。メンバーは監督兼選手の青戸忍を含め、9人ギリギリしかいない。中学、高校と「名門」と呼ばれるチームでプレーし、大学でも主将だった松本が主将を務めるのは必然だった。同時に本職である遊撃手に加え、投手としてマウンドにも登るようになった。
軟式から再び硬式へ、投手として香川入団
日々の忙しさの中、時間はアッと言う間に過ぎていく。2年目に入ったころ、青戸から「もっと上のレベルでやってみんか?」と声を掛けられた・・・
この続きはプレミアムサービス
登録でご覧になれます。
まずは体験!登録後7日間無料
登録すると、2万本以上のすべての特集・インタビュー・コラムが読み放題となります。
登録済みの方はこちらからログイン