28歳でのドラフト指名で、球団最年長でのプロ入りとなった。最終経歴の相双リテックでは軟式野球部。異色の経歴を持つオールドルーキーは『Never Too Late』を体現しついに、あこがれ続けたプロの舞台へと歩みを進めた。 取材・文=吉村大佑(サンケイスポーツ)/写真=BBM、相双リテック提供 
12月8日の新入団会見では「プロのユニフォームを着れて感謝の気持ちでいっぱいです。1年目が勝負だと思っている。1試合でも多く投げたい」と力強く語った/写真=小山真司
異色の経歴は誰もマネできない経験値
来年29歳のシーズンを迎えるオールドルーキーは、異色の経歴の持ち主だ。
「年も年なので、すぐ活躍できないとプロに入った意味がない。プロはとても注目される。立ち居振る舞いとか、見ている方に格好いいと思われる投手になりたいです」
ヤクルトから6位指名された
菊沢竜佑は、2015年12月から福島・いわき市に本社を置く(株)相双リテックの軟式野球チームでプレー。28歳での入団は球団最年長と長い下積み時代を経ており、プロ入り前は険しい道のりを歩んできた。
小学4年から野球を始め、中学まで軟式野球部だった。秋田高では3年夏に4強。立大へ進み、1年春から東京六大学リーグ戦に登板し、同校の通算800勝達成試合の勝利投手にもなった。だが、3年夏に右ヒジのじん帯再建手術を受けたのが受難の始まりだった。
傷が癒えきれず、大学卒業後は山崎製パンに就職。1年間、野球から離れた後、社会人クラブチーム、横浜金港クラブで現役復帰。山崎製パンに2年半勤めた後、神奈川県藤沢市のバッティングセンターで働いたこともあるという。
プロへの夢をあきらめきれなかった青年は14年秋、
巨人の入団テストを受験。合格したものの、同年のドラフト会議では指名漏れを経験した。すると年が明けた15年1月に渡米。6月下旬から9月まで月給300ドル(約3万2000円)で独立リーグのサンフランシスコ北部のチーム、ソノマ・ス
トンパーズに所属。現地でホームステイをしていた。
「苦労したというより、やりたいことをやってきたので。さまざまな経験は生きています。フレッシュさよりも、精神的なタフさを発揮したいです」
知人の紹介で相双リテックに入社。プロの夢はあきらめかけていた。「好きな野球を続けるため」に選んだ道。だが結果的にはその決断が閉じかけた扉を開くことになる。
トレーナーに力の出し方、伝え方を学んだ。今年に入って球速は5キロも上がり、軟式ながら最速148キロを記録。変化球はスライダー、カーブ、
シュート、フォークを操る。
「投球は直球が軸。スライダーはカウントを取れて決め球にも使えます」
「今からでも遅くない」新たなスタートライン
ついに夢を叶えた菊沢には好きな言葉がある。
『Never Too Late』
「今からでも遅くない」という意味だ。日本人初のNBAプレーヤーになった田臥勇太(現リンク栃木ブレックス)の著書のタイトルである。菊沢の少年時代、秋田県では天才と称された田臥を擁する能代工高が隆盛を誇った。
「小学生のころ、能代工業の試合を見に行ったことがあるんです。僕はバスケをすることはなかったけど、今からでも遅くないという言葉は大切にしています。今でもバスケは見ますよ。NBAのゴールデンステート・ウォリアーズのステフィン・カリーが好きです」
実は菊沢の兄、翔平さんも能代工高バスケットボール部OB。菊沢はバスケット経験はないものの、親しむ環境にあった。翔平さんは現在、関
東実業団の曙ブレーキ工業でプレーを続けているという。
1988年生まれ。
ヤンキース・
田中将大やセ・リーグ首位打者、巨人・
坂本勇人ら、同世代には大物がいる。
「すごい選手ばかりです。次元が違います。特別な意識はないけど、抑えたい」
尊敬する選手は沢村賞に2度輝いた元
ソフトバンクの
斉藤和巳氏。ヤクルトでは、同じく右ヒジの手術から復活した
館山昌平にあこがれ、相双リテックで館山と同じ背番号25を選んだほどだ。
「僕は手術は1度だけど、苦労した思い出があります。館山さんは何度も手術している。ケアとか、ケガしたときのモチベーションとか、いろいろ聞きたい。
由規投手の復活を見て、ヤクルトは選手を大切にする温かみのある球団という印象があります」
10月26日。相双リテック本社で、
鳥原公二チーフスカウトから指名あいさつを受けた。会場は8階の会議室。菊沢は鳥原スカウトを待つ間、エレベーター付近に置かれた報道陣の靴をきれいに並べていた。
「野球部で、整理整頓はしっかりやろうと決めています。大事なことだと思っています」
ヤクルトなどで監督を務めた
野村克也氏の持論として、「目配り、気配り、心配りをせよ」という言葉があった。ノムラの考えも、プロ入り前から実践。燕のオールドルーキーがプロの門をたたく。

社会人軟式野球チームの相双リテックでは「環境がとても良く、野球に集中させてもらっていた」と語り、今年に入り球速が5キロ上がるなど急成長を遂げた/写真提供=相双リテック
PROFILE きくさわ・りゅうすけ●1988年5月16日生まれ。秋田県出身。183cm85kg。右投右打。小学4年から中学まで軟式野球部でプレー。秋田高、立大では投手としてプレーも、大学3年時に右ヒジを手術し、プロへの道は閉ざされた。卒業後は一般企業に就職するも夢をあきらめきれず社会人野球、米独立リーグに活躍の場を移し今年から相双リテック軟式野球部に所属。8月の大会では完全試合を達成するなど、再びプロへの道を切り開いた。