春2度、夏1度の甲子園優勝を誇る名門・池田高が、今春のセンバツで27年ぶり出場。初戦突破を果たし、92年夏以来の校歌が流れた。かつて故・蔦文也監督が率いるパワー野球が代名詞だったが、時代も変わり攻撃スタイルは大きく変わった。しかし「新やまびこ打線」を系譜する男がいる。 取材・文=岡本朋祐 写真=早浪章弘 黄金期の重量打線に入ってもそん色ないパワー 池田高と言えば、甲子園通算37勝の名将・蔦文也(故人)が象徴。蔦文也の野球を表現するなら「やまびこ打線」が思い浮かぶ。1980年代、甲子園でのインパクトは、今も語り継がれる。準優勝した79年夏は主将・捕手。筑波大卒業後の84年から91年まで、蔦監督の下でコーチを務めた岡田康志監督(98年からの穴吹高を経て10年復帰)は言う。「余計なことをすると、点が入らん」。つまり、ベンチが動かずとも、放っておけば得点できるほど、当時の池田の猛打はすさまじかったのだ。
今春、池田は92年夏以来となる甲子園復活出場を果たした。センバツは27年ぶり。「IKEDA」のユニフォームを見れば「やまびこ打線」の再来を期待してしまう。だが、時代は変わった。岡田監督は言う。「チーム打率も出場32校中、下から2番目(.254)の数字。田舎のチームが泥んこになって、つかんだ甲子園。蔦先生のような豪快さを求められても、無理な要求でした」
畠山準(元横浜ほか)、
水野雄仁(元
巨人)、江上光治(元日本生命)ら黄金期の「やまびこ打線」に入ってそん色ないと岡田監督が言う強打者がいる。1年秋から四番の岡本昌也だ。

▲6月15日時点で高校通算18本塁打。入学以来、30本の大台を目標としてきただけに、夏も量産する
評定平均4.7と成績でも野球部トップ 池田高のある三好市の地元・東みよし町出身。「池高で・・・
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