高校3年時、大学4年時ともプロ志望届を提出したが、いずれも指名漏れに終わった。社会人選手の大卒2年目はドラフト解禁。「3度目の正直」でプロ入りを狙う。 取材・文=上原伸一 写真=福地和男 
NTT東日本は昨年、都市対抗、社会人日本選手権出場を逃した。常勝チームの復活へ、けん引していく覚悟がある
初めてプロ野球を地元・ナゴヤドーム(現バンテリンドーム)で見た小学1年時、
野口泰司は捕手にクギ付けになった。視線の先には、プロの捕手として世界最多となる2963試合に出場(ギネス記録)した
谷繁元信(元
中日ほか)がいた。
「防具をまとった谷繁さんの姿にすごく惹きつけられまして……。野球を始めるきっかけにもなりました」
小学校時代にマスクはかぶったものの、主に投手で内野を守った。本格的に捕手になったのは、愛知衣浦シニアに所属していた中学2年時だ。「チームに捕手が少なく『誰かできるか?』とコーチが言ったので『できます!』と。その時はBチームの野手だったんですが、捕手になってすぐにAチームに上がりました」。
キャッチャーとしてやっていこう、と決意したのは中学3年春。「捕手には、野球を動かせる魅力がある。谷繁さんをさらに、意識するようにもなりました」。野口は高校、大学でも、谷繁の現役時代の動画を見て勉強していた。もっとも「捕手・谷繁」のすごさが、本当に理解できるようになったのは社会人1年目の昨年。NTT東日本に入社し、上田祐介コーチに出会ってからだ。上田コーチは常総学院高時代から名捕手で鳴らした。日大を経て、NTT東日本でも都市対抗で4度、優秀選手になり、2017年の都市対抗では兼任コーチで36年ぶり2度目の優勝に貢献した。
「上田コーチの下で配球を学ぶまでは、マスクはかぶっていても、捕手ではなかったかもしれません。少し捕手らしくなってきたことで、それまで漠然と見ていた谷繁さんの配球も・・・
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