週刊ベースボールONLINE

ドラフト逸材クローズアップ

岩瀬将(菅高・投手) 激戦区・神奈川に潜む県立校の大器「夏の目標はベスト16、その先のベスト8を目指し、学校の歴史を塗り替えたい」

 

1983年に開校した菅高。翌84年から夏の神奈川大会に出場し、過去の最高成績は4回戦進出(2012年)だ。昨秋、今春とも川崎・横浜北地区予選敗退。県大会進出を逃したが、県立校の最速143キロ右腕は、プロから熱視線を浴びている。
取材・文=岡本朋祐 写真=田中慎一郎

自宅から学校まで約10分の自転車通学。地元の公立校からプロ入りを目指す。好きな選手はドジャース・大谷翔平で、将来的なMLBへの夢も抱いている


 親の仕事の関係によりアメリカ・カリフォルニア州で生まれた。2009年の第2回WBCで、イチローのプレーを観戦した記憶がかすかにある。2歳上の兄・快さんの影響で、5歳から地元チームでティーボールを始めた。英語に触れ合う生活を経験し「あまりしゃべれないですが(苦笑)、今も聞き取れるので、洋楽が好き。洋画を見るのが趣味です」と明かす。

「高校2年の途中までは、卒業後の留学を考えていました。でも、今は野球をやると決めた以上、プロしか考えていないです。育成選手でもご縁があれば、プロへ行きたい。これまで経験のない上のレベルで1日も早く、技術を磨きたいです。3人きょうだい(岩瀬は次男で兄、妹がいる)で、親には迷惑をかけている。一人で育ててくれた母親のためにも、プロへ行って恩返ししたいです。NPBで活躍した上でMLBにも興味があります」

 将の由来は「リーダーシップのある人になってほしい、と名付けられましたが、まったくない」と苦笑いを浮かべる。ある時期までは、野球に関心がなかった。

 年長で日本へ。祖父が野球好きだったことで、金程小1年時に野球を再開した。主に中堅だったが、6年春の麻生区大会決勝で初登板すると、5回コールドで優勝に貢献。区の選抜チームでもプレーした。金程中から投手に専念。1年時は成長痛により満足にプレーができず、エースとなった2年時はコロナ禍でほとんどの大会が中止。3年時は川崎市大会8強進出。当時から130キロは出ていたという。

 高校進学に際して私学からの誘いもあったが「強豪校へ進学したとしても、出場する自信がありませんでした。兄がいた菅高校でもう1回、一緒に野球をやろうという程度で……」と、自宅から自転車で約10分の地元の高校へ進んだ。

その気にさせて芽生えた自覚


 1年夏前には133キロを計測。神奈川大会から背番号19でベンチ入りも、チームは1回戦敗退、岩瀬の出場機会はなかった・・・

この続きはプレミアムサービス
登録でご覧になれます。

まずは体験!登録後7日間無料

登録すると、2万本以上のすべての特集・インタビュー・コラムが読み放題となります。

逸材発掘!ドラフト候補リサーチ

逸材発掘!ドラフト候補リサーチ

プロを目指す逸材を発掘し、その横顔とプレースタイルを紹介する読み物。

関連情報

新着 野球コラム

アクセス数ランキング

注目数ランキング