シーズンは南海に7差の圧勝、シリーズもその勢いのままに
1957年の日本シリーズは、西鉄のヤングパワーとベテランの力が見事にかみ合った勝利だった。パ・リーグのペナントレースも、それで勝ち抜いた。南海とは、54年以降、大接戦を繰り返してきたのだが(56年は0.5ゲーム差の勝利!)、57年は、南海に7ゲーム差をつけての完勝。対南海戦は、15勝7敗の“ダブルスコア”。これでは、南海の“親分”鶴岡(山本)一人監督も手の打ちようがない。対西鉄用にと入団させた早大のエース・
木村保がまるで通用せず(対西鉄戦0勝5敗。それでも木村は21勝11敗で新人王。いかに西鉄打線が打倒木村に燃えていたかよ~く分かるのだ)、近鉄、大映にそれぞれ18勝(4敗)と圧勝しても追いつかない、西鉄戦大敗だった。
このシーズン、主砲・
中西太が打点王。大ベテラン
大下弘が、最後の規定打席到達で打率4位(.306)、
関口清治が32歳にして生涯これ1度の打率3割(.300)、野武士・
豊田泰光が二番ながら18本塁打、26二塁打と長打力を発揮。一番の
高倉照幸(打率.279、25二塁打)から五番関口までで試合を決めてしまう、いわゆる“流線型打線”の完成だった。
投手陣は2年目の
稲尾和久が最多勝(35)、最優秀防御率(1.33)の2冠。
河村英文17勝。規定投球回数到達者はこの2人だが(198回とハードルが高かった)、2人の負けが稲尾6、河村8と非常に少なく、実に効率がよかった。
島原幸雄も13勝ながら5敗。打線の援護もあったが負けない投手陣だった。恐らく、3連覇中の西鉄で、選手が最も自信を持っていたシーズンではなかったろうか。
だからシリーズも・・・
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