金田 - 長嶋初対決。4打席4三振の“真実”。カーブ、カーブ、カーブの金田に長嶋はイラ立った!?
先々週号でようやく
巨人・
長嶋茂雄の名が登場した。1958年に巨人に入団するまでの物語は、プロ野球ファンなら誰でもご存じのことと思う。自由競争の時代(もちろん、これはドラフト以後に使われ始めた表現で、当時は、有望選手は競い合って奪い取るものと決まっていた)。だから、長嶋が南海から巨人にクラ替えしたからといって、非難されるほどのことではなかった。あのころは、いわゆる“二重契約”問題がしょっちゅう起こっていたのだから。
とはいえ、当時はプロ以上の人気があった東京六大学の大スター。通算8本塁打の新記録を引っさげてのプロ入り。さらに1800万円という、のちに衆議院文教委で問題にされるほどの空前の契約金を手にしている。セ・リーグの投手たちの心中は穏やかではなかった。真っ先に反応したのは、“天皇”と呼ばれ、プロ野球界のエースを自任していた国鉄・
金田正一だった。「大学出にナメられてたまるかい!」とイキリ立った。
もちろん、カネやん一流の計算もあった。「長嶋がなんじゃい!」と煽ることで、金田 - 長嶋の勝負を、58年のプロ野球の最大の話題としてショーアップするつもりだった。開幕戦(4月5日)は巨人-国鉄戦(後楽園)なのだから。
これは大成功だった。日本中のプロ野球ファンの目と耳が巨人-国鉄開幕戦に集中された。長嶋はオープン戦で最多の7本塁打をかっ飛ばし、(株)後楽園スタヂアムの株価はキャンプも終わる2月末に90円だったのが、開幕前日の4月4日には130円にまで値上がりした。長嶋人気で、球場の入場者数が大幅に増え、したがって株価はさらに上昇するだろうという読みが投資家にはあったのか。このシーズンの巨人の入場者数は147万9900人。前年57年は138万700人。約10万人の増加となった。
まあ、とにかく、この年は長嶋、長嶋、長嶋でプロ野球界は沸き立ったのだった。
第2打席は初球から4球連続カーブ。金田の高等戦術!?
さて、開幕戦での金田 - 長嶋対決。ご承知のとおり4打席4三振と金田の完勝に終わったのだが、全19球のうち変化球が12球もあった。これも金田の作戦ではなかったか。試合後、金田はこう言っている。「長嶋君は打つときに上半身が泳いだり、浮いたりしますね」。ストレートの真っ向勝負よりも、あの大きなカーブで“いなし”ながら、長嶋を「一体何をどう打てばいいんだろう」と自信喪失に追い込む、こういう作戦ではなかったか。事実、巨人のベテラン打者たちは、金田の作戦を見抜いていた。試合後の長嶋は「先輩から注意を受けて、速球よりカーブを狙ったのですが、今にして思えば甘かった」と語っている。
では、長嶋は金田のカーブにどう対処したのか?
第1打席では2球目外角低めを見逃しストライク。3球目真ん中低めを見逃してボール。
第2打席では1球目外角高めを見逃してボール。2球目内角を見逃してボール。3球目内角低めをファウル。4球目外角を見逃してボール。6球目外角高めから落ちるのを空振り(三振)。
第3打席では2球目内角低めを突如バントも空振り。
第4打席では2球目真ん中低めを見逃してボール。3球目真ん中でストライク。5球目、6球目真ん中をいずれも空振り(三振)。 (球種はすベてカーブ)
高低がハッキリしないカーブもあるが、とにかく金田はカーブをよく投げた。第2打席は初球から4球連続カーブだ。長嶋もしっかり見極めて3 -1としたのだが、最後はじれてカーブを空振り三振。第3打席は、ヤケになったのかカーブをバントして空振り。第4打席は正真正銘の(?)ヤケクソ。5、6球目の真ん中のカーブをともに空振りして三振。真ん中を2つ続けて空振りしたのだから、長嶋はもうボールを見極めるという心境、心理状態ではなかった。まさに「甘かった」のである。

第1打席、長嶋が空振三振したシーン。これはストレートだったが、その前2球は大きなカーブで、軽くいなされた
「プロ野球の勝利」の見出しがあったが、半年後は長嶋の大勝利
甘かったのではあるが、長嶋は何かスカされたような、体をかわされたような感じを味わったのではないだろうか。いくらルーキー相手とはいえ、初球から4球続けてカーブはないだろう。まともに勝負してくれよ、という不満が残ったのではないだろうか。
スポーツマスコミは「さすが金田」「プロは甘くはなかった」等々の表現でこの勝負をはやし立てたが、試みに小社資料室でこの対決を報じた『週刊ベースボール』58年4月30日増大号を開くと「プロ野球の勝利」「プロの面目保つ」の大見出しがあった。後者はともかく、前者の「プロ野球の勝利」は、いささか過剰反応ではないだろうか。話題性は抜群でも、22歳になったばかりの長嶋はこの日が初めてのプロの公式戦。しかも、相手は日本一の大投手。まあ、抑えられて当然、打てなくても恥ではない。それなのに「プロ野球の勝利」──。
半年後には、プロ野球の勝利どころではない、長嶋の大勝利であることがハッキリした。29本塁打、92打点、打率.305という数字以上に、長嶋という男の存在感は圧倒的であった。何をやっても絵になるのである。スポーツ紙に「長嶋──」の見出しさえあれば、読者は「オッ!」と反応してくれた。「長嶋は、その後の活躍をよりドラマチックにするために、わざとスタートで4三振したんじゃないのか?」と筆者の友人の
阪神ファンが言ったことがあった。うがちすぎだが、もし、それが本当なら、金田の苦心投球も「なんのこっちゃ」になってしまうのだが、後年、金田はこうも言っている。「長嶋の空振りは迫力があった。この男には、いずれ打たれると思った」。大投手にしか分からない大打者の将来、ということか。金田は翌59年、長嶋に3本塁打、打率.333と打ちまくられた。
文=大内隆雄