江川、西本が消えた投手陣を再生させるために斎藤、槙原、桑田らに喝!
今年の両リーグペナントレースは終了したが、全成績が確定して、あらためて思うのは、「完投が少なくなったなあ」、これである。投手の分業制がメジャー並みに確立されたことの結果なのだから当然ではあるのだが、「それにしてもなあ」の思いは残る。
12球団で完投数が最も多いのは
DeNA、
楽天の11。DeNAは各投手に分散しているが、楽天は
則本昂大が9完投だから、言ってみれば、則本1人が完投するチーム。これは則本が極めて特殊な存在なのであって、則本より完投数が少ないチームが6つもある。こちらも「それにしてもなあ」である。
89年の69完投、90年70完投。これはこの両年の
巨人投手陣の完投数である。四半世紀前は、こういう野球をやっていたのである。そう昔のことではない。この80年史もドームの時代に差し掛かり、かなり現代に近づいてきたのだが、野球そのものは、近づくどころではない。今回は、こういう時代もあったのだ、ということを知ってもらう原稿にしてみた。
1989年の巨人は、
王貞治監督が前年限りで退任、
藤田元司監督が2度目の“お勤め”となった(前回は81〜83年)。元巨人の大エースは巨人のピッチングスタッフを見直してみて、「まだまだ力を出していない」のを痛感した。藤田投手は、58、59年、抑えもやりながらそれぞれ24完投(29勝、27勝)。巨人の88年はチームで36完投。これは甘え過ぎではないか。
江川卓が引退した88年は、外国人の
ガリクソンの14が最多。次が
槙原寛己の11。その次が
桑田真澄の5。日本人投手は何をやっているのか!
加藤初もまだまだやれるのに。85年に12勝した
斎藤雅樹は何をグズグズしているんだ。
藤田監督は、こういう投手陣にカツを入れた。もともと瞬間湯沸かし器と言われるほどで、カッとなったら怖い。桑田をベンチで容赦なく叱り飛ばした。江川が去り、
西本聖も
中日に移ったいまこそ、エースになる絶好のチャンスではないか。それなのに、その自覚がない。藤田監督は4月8日の
ヤクルト開幕戦に桑田を起用した。桑田は、期待にこたえ6対2の完投勝利。翌日の同カード、藤田監督は前年10勝の槙原ではなく、6勝の斎藤を起用した。斎藤は勝てなかったが、チームは4対3の勝利。11日の
阪神戦は槙原。槙原は1対3で敗戦投手となったが、藤田監督は完投させた。開幕3試合で巨人の投手たちは、藤田監督の意図が奈辺にあるかをしっかりと理解したのだった。誰を主軸にするかも含めて。
藤田監督は、投手に厳しいだけではなく、彼らが投げやすいように気を配った。東京ドームのブルペンをテレビカメラに映させなかった。「あれは、投手の仕事の妨害だよ」とよく言っていた。投手の完投については、ヤクルト・
野村克也監督にも苦言を呈した。
「彼は時々、先発投手を外野や三塁に退避させてワンポイントリリーフのあとマウンドに戻すことをやった。これはよくないよ。投手の仕事とはそんなものではない」
完投してこそ先発という藤田監督の美学が汚されたような気がしたのかもしれない。もちろんノムさんにはノムさんの反論があるのだが。
90年は防御率10傑の1位から4位まで巨人投手陣が独占! セ史上最速V
ともかく、藤田監督は、完投にこだわった。で、その結果は、斎藤21、槙原14、桑田20、ガリクソン6、
宮本和知5……。まさに、投げれば完投の投手陣となった。斎藤は11試合連続完投勝利の日本新記録を達成した。

“ミスター完投”斎藤[巨人]は89年に11連続完投勝利の日本記録達成[左は藤田監督]
その結果、このシーズンの巨人のチーム防御率は2.56。12球団唯一の2点台。この巨人の防御率を上回るセ・リーグのチームは71年の大洋までさかのぼらなければならない。このシーズン、大洋以外にも2点台のチームは3つもあったが、89年は3点台が3つ。4点台が2つ。G投だけが突出していた。当然被本塁打も少なく88。2ケタの数字は12球団で巨人のみ。前年も98と少なかったのだが、そこからさらに10本減らした。
もちろんペナントレースは圧勝で2位
広島に9ゲームの大差をつけてのV奪回だった。日本シリーズで近鉄に3連敗しながら4連勝の大逆転をやってのけたのも、投手陣の自信が揺るがなかったからだろう。第4戦から逆王手をかけた第6戦まで3試合で失点わずかに2(1完封)。第4戦は香田勲がシリーズ初登板初完封の快挙(5対0)。この年は、どこまでも完投の年だった。香田は試合後、「十分に楽しめました」と豪語したが、投手陣全体に自信がみなぎっていた年だった。
翌90年はもっとすごかった。10完投以上が1人増えて4人。槙原は6完投と減らしたが、
木田優夫が台頭して13完投。宮本も10完投と倍増。木田は交代完了が15もあったから、58、59年の藤田投手の“ミニ版”。12勝7セーブと先発、抑えでフル稼働。
その結果、防御率10傑で巨人の投手が1位から4位まで独占となった(斎藤、桑田、木田、香田)。これは長い巨人の歴史の中でも初めてのことだった。
90年は、前年の
クロマティ(打率.378で首位打者。MVPも)のような打者はいなかったが、打線は最高打率、最少三振、最多犠打の数字が示すように堅実な打撃で最多得点。投手陣の力投に応えた。
その結果が広島に22ゲームの大差をつけてのブッチギリの連覇。巨人の22ゲーム差Vは巨人史上最多。9月8日の優勝決定は現在までセ・リーグ史上最速。よく「野球は投手力」と言われるが、巨人のこの89、90年は、それを120パーセント証明してくれた。
ただし、日本シリーズだけは別もので、90年は
西武にまさかの4連敗。短期決戦の怖さだった。
文=大内隆雄