チームの日本一の歓喜を素直に喜べなかった。昨シーズン未勝利に終わった右腕は2014年に8勝を挙げながら、ここ2年間は大きく低迷。次世代のエース候補と呼ばれながら結果を残せないもどかしい日々を送っている。背水の覚悟で臨むプロ8年目。その戦いの軌跡を追った。 文=井上陽介(スポーツライター)、写真=BBM 
二軍施設のある鎌ケ谷で黙々と自主トレに励む日々。ライバルたちに負けたくないという思いは誰よりも強い
失ったポジションを取り戻すべく、黙々と練習に打ち込んでいる。
日本ハムの二軍本拠地のある千葉・鎌ケ谷。一見、淡々と投げ込むように見えるが、目つきは鋭い。鬼気迫る表情で黙々とネットスローを繰り返しているのは
中村勝。2010年のドラフト1位右腕。8年目を迎える今シーズンは期するものがある。
「まだまだ、やれるというところを見せたい」 昨季未勝利からの巻き返しを誓う。端正なルックスから浮き上がるような真っすぐとスローカーブを織り交ぜる投球術が身上。実力を出し切れなかったこの2年間の屈辱を大きなエネルギーに変え、後戻りできない覚悟でトレーニングに励んでいる。
完全復調のためにPRP療法を決断
人知れず悔しさを抱えながら日本一へ向かう輪からフェードアウトしていた。チームが10年ぶりの日本一に輝いた昨年は大半を二軍で過ごした。最大11.5ゲーム差を引っくり返した大逆転優勝もどこか遠くの出来事として見守ることしかできなかった。
「試合自体は見ていたけど、そんなにまじまじとは……」 一軍昇格を見据えて対戦打者の研究に余念はなかったが、月日が進むにつれて現実的ではなくなっていた。不調の要因だった右ヒジ痛がシーズン佳境に再発。悩んだ末に苦渋の決断を下していた。
昨年の12月1日、札幌市内の球団事務所での契約更改後に口を開いた。「投げたい気持ちはありますけど、まずは治すことが大切」と昨年9月に痛みがあった右ヒジにPRP療法を施したことを明かした。
PRPとはプレートレット・リッチ・プラズマ(platelet rich plasma)の頭文字の略。日本語に訳すと多血小板血漿療法。血液の液状成分のことで、損傷した組織の修復を促す目的で患部に注射する。ヤンキース・
田中将大も14年に右ヒジじん帯部分断裂から回復を目指す過程で用いたことで有名。この治療法をリーグ制覇前の時期に行っていた。時期的にもポストシーズン前に不本意な1年にケジメを付けた。すべては17年シーズンで巻き返すための策。悔しさを吹っ切るように今オフは基本的に1人でネットへ向かってボールを投じながら回復具合を確認する日々から始まった・・・
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