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野球浪漫2019

ヤクルト・村中恭兵 後悔だけはしたくない 「自信はもちろんある。それがなきゃ、努力はできない」

 

2ケタ勝利を挙げた事実は、遠い過去のものになりつつある。ここ数年は一軍で結果を残せない状況が続いている。自身と向き合い、一からの再起を決意した14年目のサウスポー。周囲に恩返しをして、後悔のない野球人生を送ってみせる。
文=菊田康彦、写真=川口洋邦、BBM


去った彼らの分まで


 2019年のキャンプインを目前に控えた1月下旬。寒風吹きすさぶヤクルトの戸田球場に、黙々とキャッチボールを行う男の姿があった。

「今はリハビリ(段階)なので、ちょっとずつ練習を上げてる状態です。去年の(みやざき)フェニックス・リーグでコンディションを悪くしてしまって、そこからずっとリハビリをやってるんですけど……」

 男の名は村中恭兵。2ケタ勝利2回の実績を持つヤクルト生え抜きのサウスポーも、プロ13年目の昨シーズンはわずか3試合の登板に終わり、二軍でも29試合で2勝2敗、防御率4.33と精彩を欠いた。

「詳しいことは言えないんですけど、2月にケガというかコンディションを悪くして、そこからは1年間、ベストコンディションではできなかったという感じです」

 5月にはファームで防御率1.69の好成績を残し、6月初めに一軍から声が掛かり昇格したものの、本人にしてみれば、それも予想外の出来事だったという。

「僕の中ではめちゃくちゃ調子が悪かったので、まさか(一軍に)上がるとは思ってなかったです。自分でも悪いと思っていたのが(試合で)そのまま全部出たので、『やっぱ無理だな』っていうのは思いました」

 投げるたびに打ち込まれ、6月半ばには登録抹消。その後、再び一軍に呼ばれることはなかった。

「正直、『次の年(19年)はないな』と思ってたんです。けど、契約していただいたので、感謝の気持ちしかないですね」

 ヤクルトにはかつて「ドライチ四兄弟」と呼ばれる4人の高卒投手がいた。06年の村中を筆頭に増渕竜義由規赤川克紀と、4年連続してドラフト1位(赤川以外は高校生ドラフト1巡目)で入団した彼らは、将来を背負って立つ存在として、大いなる期待を受けていた。

「僕の中では、増渕がいきなり開幕先発ローテに入って投げたときは、がく然としました。『高卒1年目でこんなに投げる人がいるんだ』っていう危機感というか……。次の年には由規が入ってきて、そのときもすごく(危機感を)感じましたね」

 その危機感をバネに、村中は入団3年目の08年に6勝を挙げると、10年には11勝をマークする。この年は由規も初の2ケタ勝利を挙げ、中継ぎに回った増渕も57試合の登板で20ホールドと大車輪の働きを見せた。“末弟”の赤川も、11年にプロ初勝利を含む6勝、翌12年は8勝と台頭。負けじと12年に2度目の2ケタ勝利を挙げた村中は「後から入ってきた人たちがライバルというか、近い関係でいたっていうのは良かったと思います。切磋琢磨できる人が近くにいたっていうのは大きかったです」と、当時を振り返る。

 しかし、「四兄弟」の絶頂期も長くは続かなかった。10年に当時としては日本人最速の161キロをたたき出した由規は、右肩を痛めて13年に手術。増渕は14年のシーズン中に日本ハムにトレードされると、翌15年限りで戦力外となって引退。時を同じくして赤川もヤクルトから戦力外通告を受け、25歳の若さでユニフォームを脱いだ。

 由規は右肩の手術から一度は復活を遂げたものの、昨シーズン限りで戦力外を告げられて退団(その後、育成契約で楽天入り)。気づけばヤクルトに残っているのは“長兄”の村中だけになってしまった。

「まさか自分が一番最後まで残ってるとは思わなかったです。増渕と赤川はもう引退してますし、(彼らの分も)1年でも長くしっかり活躍してっていうのは常に思ってます」

スタイルは変わらない


 その村中も今、崖っぷちに立たされている。15年は深刻な制球難に陥り、一軍登板ゼロ。そこからは「毎年クビを覚悟しながらやっている」という。背番号15を剥奪(はくだつ)されて43番に替わった16年は、中継ぎとして自己最多の52試合に登板するなど復活ののろしを上げたものの、ここ2年は不本意なシーズンが続いている。

「あのとき(16年)は1年間投げられたんですけど、体の状態に波があって。それが蓄積して、ここ2年ぐらいは(故障が)出てきちゃってるなって思います。前の年(17年)も悪い状態で無理して投げてたんですけど、去年もそれが続いてしまってて……。悪い中でも何とかやっていかないといけないので、ここ2年はけっこうキツかったです」

 なかなか思うようなピッチングができず、自らの不甲斐なさに人知れず涙を流したこともあった。これまでも「後悔しないような練習や取り組みはしていた」というが、さらにその上を行く意識で「一から体をつくり直そう」と決意したのは、昨年12月のこと。リハビリの日々の中、あらためて「後悔はしたくないので、できることは何でもやってみよう」と考え、それこそ日常生活から改善に取り組んでいる。

「本当に頭のてっぺんから足の先まで一つずつ、部分的に鍛えてるというか……。パーツ、パーツもそうですし、それをどう連動させて使うかとか、そういうところも一からつくっている感じですね。ここ最近は歩くとか、そういう単純な動作でも常に練習というか、トレーニングしてる感覚です。歩くのって大変だなって思いました(苦笑)」

 正しい体の使い方ができていないと、ピッチングでも体の思わぬところに負担がかかる。ここ2年のコンディション不良は、そのあたりにも起因していたことに気がついた。

「1年目からがむしゃらに練習とかトレーニングに取り組んできましたけど、がむしゃらさだけでは長くできないっていうのはすごく思いましたね。やっぱり正しいトレーニングとか正しい投げ方とかを勉強してやっていかないと……ただただやってるだけだとケガもしますし、うまくいかないのかなと」

2018年はコンディション不良に苦しみ、一軍では納得いく投球ができないままだった


 歩く、走る、座る……今は日常生活から、常に正しい体の使い方を意識している。それは年明けから再開したキャッチボールでも同じ。動作の一つひとつを丁寧に確認するように、ゆったりとボールを手から放している。

「今は意識してゆっくりと、ちゃんとここが使えてるかとかを確認しながらやってるんで、ボールを投げてる感覚があんまりないです(笑)。今まで自分がやってきたものを変えるとなると、丁寧に一つずつやっていかないと直らないと思うので、時間をかけてゆっくり、体に覚え込ませる作業からやってます。そのうち、無意識にできるようにはなると思うんですけど」

 ボールを投げる際の腕の角度も、傍目には以前よりも下がっているように見える。それも「できるだけ体の傾きがないようにして投げてるので、腕が下がっているように見えるんだと思います。前は体が横に反っている感じで、上から投げていたんで」と、体の使い方を正しているが故のことと説明する。

 2月1日からの春季キャンプは、宮崎・西都でリハビリ組としてのスタート。ブルペンに入るのは、まだもう少し先になる。現在行っている「一からの体づくり」は、投球フォームをつくり直すことを意味するが……。

「投げ方に関しても一からつくってるので、どういう投球スタイルになるかは正直分からないですけど、フォークボールっていうのは自分の中でも武器なので、そこは捨てることはないと思います。もちろん、真っすぐあってのフォークなので、球種の割合とかはどうなるか分からないですけど、真っすぐとフォークというスタイルは変わりません」

「恩返し」をすべてに


 ストレートとフォーク──。往時はほぼ、代名詞ともいえるこの2つの球種で相手の打者をねじ伏せた。村中が「野球人生でも最高の思い出」という、11年のクライマックスシリーズ・ファーストステージでもそうだった。

「神ってました? けっこう集中しちゃうと周りが見えなくなるんですけど、あのときは集中し過ぎちゃって。(場内は)大歓声だったんですけど音がまったく聞こえなくて、バッターとキャッチャーしか見えてなかったです」

2011年のCSファーストステージで神懸かり的なピッチングを見せた村中[写真中央右]


 この年、レギュラーシーズンで4勝6敗、防御率4.29という成績に終わっていた村中は、本拠地・神宮球場に巨人を迎えたこのシリーズでは、リリーフとして起用された。第1戦では先発・館山昌平の後を受け、同点の6回から登板。

「自分の中では『マジでこんなに投げるの?』と思いました。『まだ行くの? まだ行くの?』って。(8回が終わって)『ああ、よかった。これで9回はイムさん(抑えの林昌勇)だ』と思ったら「もう1回!』って言われて、『はい、分かりました!』みたいな感じで(笑)。今だったらなかなかないですよね、ああやってロングリリーフで投げるっていうのは」

 9回二死からソロ本塁打を浴びて最後は林にバトンを渡したものの、ストレートとフォークのみのパワーピッチングで3回2/3を投げ抜き、見事に勝利投手となった。

 1勝1敗で迎えた第3戦でも8回途中からマウンドに上がり、今度は林にバトンタッチすることなくセーブを記録。ファイナルステージ進出に大きく貢献した。

「あの舞台で投げられたってこと自体が貴重ですし、あの歓声の中でまさかあのピッチングができるとも思ってなかったので……。もう1回、ああいうところで投げてみたい気持ちはあります」

 順調にリハビリが進めば、3月には実戦マウンドに上がる予定。その先に見据えているのはもう一度、一軍のマウンドでチームの勝利に貢献することだ。

「恩返しじゃないですけど、チームに貢献したいっていう気持ちは(プロに)入ったときから考えても、今が一番強いかもしれないですね。開幕はちょっと分からないですけど、1試合でも多くっていう気持ちはあります。準備さえできれば結果はついてくると思ってるので、そのためにも今は(シーズンに向けて)土台をしっかりつくっていこうと思っています」

 それはチームに対する恩返しというだけでなく、そばで支えてくれている家族への「恩返し」にもなる。

「一番、負担をかけてるのは妻と子どもなので……。いつもすごく心配をかけてるんで、2人には何とか安心させたいっていう気持ちを持ってやってます」

 ヤクルトは15年には真中満監督の下でセ・リーグ制覇を果たしているが、この年は一軍登板のなかった村中は、歓喜の輪の中に入ることすらできなかった。

「チームは優勝してますけど、僕自身は経験してないので、優勝したいですね。ビールかけにも参加したいので」

 今年でプロ14年目を迎えたとはいえ、まだ31歳。決して老け込む年齢ではない。

「自信ですか? もちろんあります。それがなきゃ、努力はできないと思うので」

 今年も契約してくれた球団のため、志半ばでユニフォームを脱いでいった“弟”たちのため、愛する家族のため──。そして何より自分自身のために、村中は今シーズンの復活に懸ける。


PROFILE
むらなか・きょうへい●1987年10月25日生まれ。神奈川県出身。東海大甲府高から2006年高校生ドラフト1巡目でヤクルト入団。不退転の覚悟で14年目のシーズンに臨む。
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苦悩しながらもプロ野球選手としてファンの期待に応え、ひたむきにプレーする選手に焦点を当てた読み物。

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