あきらめなかった。右肩を故障して阪神を戦力外も、福井の地で腕を磨き、球速は6キロアップの最速152キロに。NPB復帰を果たした男は、現在を「奇跡の時間」と表現する。厳しい環境下で進化を遂げたその軌跡をたどる──。 文=喜瀬雅則 写真=山口高明、BBM 
昨季途中にBCL/福井から加入し、NPBに復帰。今季は開幕一軍入りを果たした
縁もゆかりもない地
「150キロ」の大台に初めて乗せたのは、阪神から戦力外通告を受けてから、およそ1年半後。独立リーグ・福井での2年目、2018年開幕前の練習試合でのことだった。
「プロから独立へ行って、よくなることって、あまりないじゃないですか。でも、明らかにタイガースのときより、いいですから」 独立リーグというステージは、NPBより環境面でも待遇面でも明らかに、グレードが下がる。その厳しい状況下で、レベルアップを果たす。決して簡単なことではない。
一体、何があったのか――。
事の推移、練習のやり方、心境の変化。その変貌ぶりを浮き彫りにしたいと、あらゆる角度から、質問をぶつけていたときのことだった。
「それ、正しいかもしれない」 即座にうなずいたキーワードがあった。
その「進化」の軌跡を追った。
山口・南陽工高は「炎のストレート」と称された
広島の元守護神・
津田恒実さんの母校。病に倒れ、32歳の若さでこの世を去った剛腕を生んだ地で、岩本は頭角を現した。
2009年、2年春のセンバツで2試合連続での完投勝利でベスト8進出、翌10年の3年夏にも甲子園出場。当時の
オリックス編成部長・
長村裕之(現・球団本部長兼編成部長)は、中四国担当スカウトだった
藤井康雄(現・オリックス二軍打撃コーチ)と一緒に、山口県まで視察に出向いたという。
「当然、指名候補に入っていました。ボールの質がよかったし、体ができれば、スピードももっと伸びるだろうと思いました」 10年10月のドラフト会議で、阪神が4位指名。プロ2年目の12年9月9日、ナゴヤドームでの
中日戦で一軍初登板・初先発を果たすと、6回2安打無失点でプロ初勝利を挙げ、高卒2年目の19歳で2勝をマークした。当時、主戦捕手だった
藤井彰人(現・阪神一軍バッテリーコーチ)は「スピンの利いた、ええ球を投げてたよ」と証言する。
「もともと、球速は出ない。たぶん、137とか138とか、そのあたり。それが・・・
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