ドラフト1位で入団し、初登板初勝利を手にした。順風満帆なスタートを切ったプロ野球人生だったが、その後は思いどおりにならない投球が続く。腕を下げ、フォームを変え、先発から中継ぎに転向。あがくのは、もう一度輝きたいから。クビを覚悟した男は、強い。 文=菊田康彦(スポーツライター)、写真=桜井ひとし、BBM 
まだ来ぬ開幕を見据え、ひたすら腕を振る
輝いていたドラ1左腕
「キャンプは二軍スタートで、できる限り早い段階で一軍に上がりたいっていう気持ちを持ちながらやってきました。開幕が延びて難しい部分はあるんですけど、体力、技術を向上させるチャンスだと思って、1日1日を大事にしながらやってます」 新型コロナウイルス感染拡大の影響で、なかなか今シーズンの開幕が見えない中、
ヤクルトの
中澤雅人はそう言って前を向く。
プロ10年目の昨シーズン、一軍登板は1試合だけ。ファームではチーム最多の43試合に登板して1勝4敗3セーブ、防御率2.70の成績を残しながら、一軍からは一向に声がかからなかった。
「(クビも)覚悟しておかないと」と思っていたと言うが、今シーズンも契約が決まると、その瞬間から気持ちを切り替えた。
「1年でも長くやりたい気持ちは常に持ってます。しっかり結果を残せば、また次の年もやれるんじゃないかっていう気持ちはすごく強いですね。そのためにも大事なのは、左バッターをキッチリ抑えること。今シーズンはそこに重点を置いてやっていきたいなと思ってます」 いつまでも変わらぬ若々しい表情を見ていると、つい4、5年前のことのようにも思えるが、あれからもう10年の歳月が流れたことになる。
2010年3月30日、ドラフト1位で入団したばかりの中澤は、神宮球場のマウンドに上がっていた。東京ドームで
巨人との開幕3連戦に勝ち越し、迎えた本拠地開幕戦。セ・リーグにはまだ予告先発制度はなく、前年16勝で最多勝の
館山昌平(現
楽天二軍コーチ)が先発だろうというのが、大方の予想だった。
「僕としてはローテーションに入ることを目標にやってたんですけど、神宮開幕ですし、気持ちもフワフワして前の日も寝れないぐらいでした。ドキドキしながらマウンドに上がったっていう記憶が残ってます」 初回、
中日打線を相手に簡単に二死を奪うが、三番・
森野将彦を歩かせると、四番・ブランコに初球をレフトスタンドに運ばれてしまう。
「もう、とんでもない打球を打たれて(苦笑)。粘ってなんとか6回途中まで投げて、中継ぎの吉川さんに代わったんですけど、そこで抑えてもらって最終的に勝ちが付きました」 いきなりの被弾にも怯むことなく、ピンチを招いてもしっかりと腕を振った。味方が逆転し、3点リードで迎えた6回表、一死満塁となったところで降板。二番手の
吉川昌宏が併殺でこの場を切り抜け、最後は守護神・
林昌勇が空振り三振でゲームを締めくくると、ベンチで見守っていた中澤の顔から笑顔がはじけた。
プロ初登板初勝利は、ヤクルトでは02年の
石川雅規以来。4月23日の横浜戦(横浜)では球団の新人投手としては16年ぶりの完封勝利を挙げると、打っては3安打の“猛打賞”。5月1日の同カード(神宮)にも勝ち、球団では実に41年ぶりとなるプロ初登板から負けなしで3勝と、ここまでは記録ずくめとなった。
続く5月8日の中日戦(ナゴヤドーム)、0対0の9回二死から
和田一浩にサヨナラ本塁打を浴び、デビュー4連勝は逃したものの、この試合で規定投球回に到達。防御率1.47でセ・リーグトップに躍り出る。新人王は中澤か? はたまた巨人の
長野久義(現
広島)か? そんな議論も出始めるようになっていた。
「怖がらずにストライクを取りにいけたっていうのと、右バッターにも左バッターにも体に近いところにしっかり投げ込んで、その後にたとえばチェンジアップを思い切って投げられてたんで、それが良かったんじゃないかと思います」 左腕から投げ下ろされるストレートは140キロに満たないが、カットボールにカーブ、チェンジアップを交えて強気に攻める。5月初旬から最下位の泥沼に沈んでいたヤクルトにとって、中澤は希望の光だった。
だが・・・
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