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一体いくつの試練を乗り越えればいいのだろう。2019年10月に左アキレス腱断裂に伴う手術を行い、20年は二軍で実戦復帰を果たしたものの、一軍登板なし。覚悟を持って臨んだ今季は4月2日に一軍復帰を果たすと、安定感のあるパフォーマンスを披露していたのだが──。今、新たな試練と向き合う34歳のストーリー。 文=福島定一(スポーツライター) 写真=BBM 
2019年のアキレス腱断裂から今年に一軍復帰。中継ぎに配置換え後、8試合で1セーブ4ホールド防御率0.87という好パフォーマンスだったが……
華々しく入団
2017年12月4日、
野上亮磨の
巨人入団会見は都内ホテルで開かれた。華々しい未来を期待されていた右腕は
高橋由伸監督(当時)とともに壇上に上がり、無数のフラッシュを浴びる。3年総額4億5000万円(推定)で契約し、背番号は「23」。和やかなムードにも包まれ、野上は
「(背番号「23」は)日産やん! と思った」と社会人時代に在籍した日産自動車を引き合いに出し、会見場の笑いを誘った。
端正な顔立ち。グラウンド外では初対面となった高橋監督から「現役最後のシーズンにホームランを打っているから、少し上からものが言えるかな。1年間(先発)ローテーションを守って、2ケタを勝ってもらいたい」と声を掛けられると
「ホームランを打たれましたけど、見逃し三振も取っています」と返した。ユーモアのあるコメント力も光っていた。ちなみに、2人の通算対戦成績は3打数1安打だった。
躍動感ある美しい投球フォームから直球やカーブ、スライダー、チェンジアップなど多彩な変化球を操る。何よりテンポの良い投球が魅力的。淡々と投げ込み、試合をつくる。11勝を挙げた同年(
西武最終年)の四球数は24。パ・リーグの規定投球回到達者では最少だった。高橋監督も交流戦で対戦した際を振り返り「コントロールの良さが一番」と制球力に期待。野上自身は会見で開幕先発ローテーション入りと2ケタ勝利を目標に掲げている。調査し、実際に獲得に動いたチームの期待も、それと同じだった。当時の
鹿取義隆GMは「投手として総合力が高い。先発ローテに入って、優勝奪回のために持てる力を存分に発揮してほしい」と獲得に至った理由を力説した。09年から同年まで、西武では通算53勝。本格派右腕は13年と同年に2ケタ勝利をマークしている。

2009年に日産自動車からドラフト2位で西武入団[写真前列右]
順調に春季キャンプ、オープン戦をこなし、開幕第3戦となった4月1日の
阪神戦(東京ドーム)で移籍後初登板初先発。5回2/3を4安打2失点の粘投で初めて本拠地のお立ち台に上がり
「みんなに勝たせていただいた」と謙虚に語っている。巨人のユニフォームに袖を通したからこそ体感できた伝統の一戦には「何かフワフワする」と味わったことのない緊張感を感じ取った。9回を締めたA.
カミネロにウイニングボールを手渡され、大事そうにしまうと口角を上げた。
だが、約2カ月後、野上の野球人生は大きく変化していく。5月30日、再調整のために出場選手登録を抹消。直前までの登板9試合で4勝4敗、勝敗こそ五分だったが、防御率5.07と調子を出せずに苦しんでいた。約1カ月半後の7月16日に一軍再昇格。2日後の18日の阪神戦(甲子園)で復帰登板を果たした。しかし、これまでとは、異なったことがあった。それは働き場。それまで主戦場だった先発ではなく「中継ぎ」としての一軍合流となっていた。
シーズン終了までの16試合をリリーフで登板。0勝0敗1ホールド、防御率4.15。ここでも適性を示したとは言い難い。クライマックス・シリーズ(CS)ファーストステージの
ヤクルト戦(神宮)ではベンチ入りも登板機会はなし。同ファイナルステージの
広島戦(マツダ広島)では2連敗で迎えた第3戦に登板し、1回1/3を無失点に抑えた。19年は開幕一軍を外れ、4月24日に一軍昇格。この際も自身が望む先発ではなく、中継ぎでの昇格だった。
襲い掛かった試練
リリーフでの起用が主となっていった野上をアクシデントが襲う。19年は13試合に登板し、1勝2敗1セーブ、防御率3.50と、満足のいく結果にはほど遠かったが、シーズン最後の登板となった8月6日の
中日戦(ナゴヤドーム)では、先発として4回を4安打2失点(自責1)に抑えた。敗戦投手になりはしたが・・・
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