シーズンも終盤、2016年のドライチ右腕がもがき、苦しんでいる。ポテンシャルの高さは首脳陣も認めるところだが……。ポストシーズンでチームの戦力足り得るため、現状の打破に全力を注ぐ。 文=福島定一(スポーツライター) 写真=BBM 理想とする形を求めて
シーズンも佳境を迎えた10月初旬、巨人は逆転優勝にわずかな望みをかけて、残り試合に臨んでいる。そんなチームの輪から離れ、桜井俊貴はファームで黙々と汗を流す。
「フォームの安定感を求めています。姿勢を正すような感じです。軸がぶれないようにしたいと思っています」 9月27日、出場選手登録を抹消。実に、今季5度目(前半戦終了に伴う抹消含む)の抹消だ。
「投げているときに体に軸がないような感じがしていました。だからどうしてもコントロールが乱れてしまうところがありました」。一軍での直近5試合、計7イニングで7四球。その原因は投球フォームにある。感覚を大事にし、模索を続ける日々。調整期間には走り込みの量も増やした。下半身を鍛え直し、もう一度、理想とする形を追い求めている。
今季はここまで29試合に登板し、1勝0敗6ホールド。一、二軍を往復する生活に
「情けないというか……。何とかしないと、という思いです」と現状打破に全力を注ぐ。

2015年秋のドラフトでは巨人から単独1位指名。立命大でのリーグ戦通算56試合登板、28勝8敗、防御率1.10、通算306奪三振が高く評価された
2015年(16年入団)のドラフト1位右腕。
高橋由伸監督就任1年目のルーキーとしても注目を集めた。キャンプ、オープン戦をこなし、順調に開幕先発ローテーションにも名を連ねた。そして16年3月30日のデビュー、
DeNA戦(横浜)。ここで歯車は狂った。5回途中4失点KO。83球での降板となったが、この試合で右ヒジに違和感を訴え、翌31日には出場選手登録を抹消された。
「やってしまった、という感じでした。ショックでした」。三軍での長く苦しいリハビリ生活に突入する。
華やかな一軍の舞台。その東京ドームに通い続けるはずが、主戦場が神奈川県川崎市のジャイアンツ球場に変わった。ノースロー調整を経て、ネットスローから再びボールを握る。再発を防ぐため、ゴムを使ったインナーマッスルの強化や走り込みの日々に没頭した。7月に三軍でのマウンドを踏むと、イースタン・リーグ最終戦、9月25日の
ロッテ戦(ジャイアンツ)で約6カ月ぶりの公式戦に登板。1回1安打無失点に抑えた。最速も145キロまで計測した。しかし活躍を期待された1年目、一軍での登板は、わずか1試合だけに終わる。
オフには驚くべきニュースが飛び込んできた。背番号21がたった1年で36に変更。「21は左投手のイメージだから」という球団の意向も働いたが、活躍していれば当時空き番号となっていた10番台もしくは20番台との交換になっていたはずだ。
「そこは何とも思わなかったです」。結果で示すしかない。周囲の雑音の中、桜井は心を燃やし、2年目に向けて始動していた。
かつてのエースに学ぶ
当時の首脳陣も期待の若手の1人として発奮を促していた。翌17年のキャンプ中には、2月18日の韓国/サムスンとのこの年、初の対外試合でオープニング投手を任されている。ところが、3回3失点。投手有利と言われるこの時期だが、直球を簡単に痛打される場面が目立った。
「修正するところは、きっちり修正していきたいです」。開幕を二軍で迎え、その後は先発ではなく、中継ぎでの再起を目指していくことになる。
役割の変更は決してマイナスではなかった。二軍公式戦では中継ぎ2試合で計4回を自責ゼロと数字もついてきた。5月16日には、一軍に昇格。前年3月のデビューマウンド以来、約1年2カ月ぶりの晴れ舞台は先発ではなかったが、
「(中継ぎの)調整にもだいぶ慣れてきました。ここまで出遅れた面があるので、遅れを取り戻すというか、新たな気持ちでチームに貢献できるように頑張ります」。 150キロ近い直球に、キレのある変化球が冴(さ)える。先発とは異なる短いイニングに全力で向かうことで、目いっぱい腕も振れる。リリーバー・桜井は覚醒したかのように思えた。しかし、長続きはしなかった。2年目はすべて中継ぎで19試合に登板し、防御率は5.67。何かを変えたい。オフには、変化を求め、エース・
菅野智之に自主トレ同行を願い出た。
このころ、桜井には一つの悩みがあった。1年目に痛めた右ヒジだ。
「ヒジが痛くなって、治ったけど、まだ体が馴染(なじ)んでいない感じがあったんです」。3年目の18年は一軍登板なし。
それでも
「ファームでは先発でも投げさせてもらいました。ここで腕を振って投げることができるようになって、ヒジを痛めてから抱えていたフォームの違和感も消えて、体もいい形になってきたんです」と一軍の舞台から姿を消した1年を振り返る。二軍では18試合に登板し、防御率2.69。復調の兆しを手にしていた。
17年に続き、この年のオフも菅野の自主トレに同行した。
「たくさんのことを教えてもらいました。初めて知ることが多くて、すごく勉強になりました」。 練習だけでなく、寝食も共にすることで気づいたことがある。
「野球のための生活を送っていると思いました」。 多くのことを吸収したが、最も印象に残り、現在も大切にしていることがある。
「キャッチボールを大事にしたほうがいい」。 練習だが、常に試合を想定。
「右打者の外角に投げるような感覚でキャッチボールを投げるようにしました」。それまでは準備運動も兼ねたものだったことを猛省する。
意識することで、すぐに変化が表れた。
「シュート回転するボールが極端に減りました」。投手の基本である右打者の外角に理想の軌道を描けるようになった。
結果、19年に自己最多の8勝をマークするが、そこにはもう一つの成長があった。1年間をファームで過ごした18年、
阿波野秀幸投手コーチ(現
中日コーチ)から授かったこんな鉄則だ。「もっとテンポを大事にしなさい。早く投げていくことで、相手に考えさせない。そうすれば、こちら(投手)の間合いになる」。ブルペン時から1球1球の間隔を意識することを心掛け、できる限り時間を詰め、ひたすらテンポ良く次々に投げ込んでいく練習を繰り返した。
「すごく成果がありました。こちらのリズムで投げ込むことで、明らかに打者に考える時間を与えず、“間”を嫌っている感じがマウンドからも分かりました」。自らのペースに持ち込むことで、相手に自由に打撃をさせない。この間、これまではしてこなかった映像チェックも積極的に行っている。
「桑田(桑田真澄、現コーチ)さんの現役時代のものを何度も見ました。テンポの良さに驚きましたし、キャッチボールから足を使ってしっかり投げている。キャッチボールを大事にしているのは菅野さんとまったく同じでした」。90年代の巨人のエースを手本に投球術を学んでいった。
並々ならぬ決意
19年は周囲が期待する才能を十分に見せつけたシーズンでもある。まずは5月23日のDeNA戦(東京ドーム)。4年目にして悲願のプロ初勝利を挙げる。3点差に追いつかれた5回。一死から登板すると、1回2/3を1失点にまとめる。試合後にはウイニングボールを握り、この年から現場復帰した
原辰徳監督と笑顔で記念写真に収まった。
「こんな形で勝てると思ってなかったですが、うれしいです。試合が終わるまではちょっと緊張しました」。4年かけてつかんだ初白星。言葉を選びながら感慨深げに語った。原監督は「ストライクゾーンを広く使えるようになった。今まではベース半分ぐらいで勝負しているように見えた」と高い評価を与えているが、指揮官の見立ては正しかった。ここから桜井は格段に成長を見せていく。

ケガなどもあり、なかなか白星に恵まれず。待望のプロ初勝利は入団から4年目、19年5月23日のDeNA戦[東京ドーム]で、救援登板でのものだった[中央]
交流戦に入ると、先発のポジションを任され、6月6日の
楽天戦(楽天生命パーク)で6回2/3を3安打1失点。先発としても初勝利をつかみ、自信を深めていった。さらに同13日の
西武戦(メットライフ)では7回4安打1失点で2試合連続勝利。この2試合では続けて110球以上を投げ、スタミナ面の強さも示した。交流戦では計3試合に登板し、防御率1.83。未完の大器が、期待に結果で応えた瞬間だった。
リーグ戦再開後も調子を維持。7月には
阪神戦で2勝。8月も3勝をマーク。復調のきっかけはどこにあったのか。桜井自身はこう振り返る。
「やっぱり18年です。一軍登板がなかったので悔しい一年ではありましたが、16年にヒジを痛めてから、どこか安定しない部分がありました。それが18年にファームでしたが、先発として定期的にチャンスを与えてもらったことで、しっかりと試合で投げていくことができた。ケガをしていたヒジが、この期間で体全体にも馴染んでいったのだと思います」。 フォームが固まったことで投げ込むボールは力強さを増した。直球で空振りを奪い、ファウルを打たせ、最後は変化球で勝負する。
「理想です」と思い描き続けた投球を体現していった。
この年のシーズン終盤は3連敗で終わったが、それでも
「自信をつかんだシーズンでした」と言い切った。きっかけをつかみ、飛躍の年になることを期待された20年。思わぬ落とし穴が待っていた。新型コロナ禍でシーズン開幕が遅れたものの、開幕ローテーションには滑り込んだ。しかし、8月2日の
広島戦(東京ドーム)で2回を1/3、7安打5失点KO。翌3日には出場選手登録を抹消される。8月終盤に再昇格した際には、中継ぎに配置転換された。
その後も抹消と昇格を繰り返し、2勝4敗4ホールド、防御率4.95。飛躍の年とするはずが、力を出し切れぬまま、シーズン閉幕を迎えてしまう。
「いろいろと余計なことを考え過ぎてしまいました」。頭角を現した19年を踏まえ、20年は自身を研究してくるであろう相手を上回るために、常に変化を求めた。
フォームや配球を微調整。考え過ぎた結果、芯を失った。
「よく分からないまま、崩れていってしまいました」。好投しても、次回登板には何かを変える必要があると考える。悪いことではないが、そればかりを優先し、本来の持ち味である躍動感あるフォーム、投げっぷりの良さまで欠いてしまった。
スタミナ面の配分も裏目に出た。19年にキャリア最多の29試合に登板。
「疲労もあったので、(翌年は)力の入れどころ、抜きどころを意識しようと思いました」。下位打線や試合中盤など、投手によってはギアを入れたり落としたりしながら試合をコントロールする。直球も球速に変化をつける投手もいる。確かに長丁場を戦う上では必要なスキルではあり、桜井もその理想を追い求めたが、これが裏目に出たことを猛省する。
そして今季もキャリアハイに並ぶ29試合に登板したが、防御率5.40が示すように安定感に欠く。
「不甲斐ないですし、申し訳ないです。早く状態を上げて、チームの勝利に貢献したいです。それだけしかないです」。 
左腕を高く上げる豪快なフォームが特徴。ハマると爆発的な力を発揮する
今春の宮崎キャンプでは投手キャプテンに指名され、2月1日の初日にはブルペンで201球を投げ込んでいた。原監督は「並々ならぬ決意でスタートしたということじゃないでしょうか」と目を細め、
宮本和知投手チーフコーチは「今年に懸ける気持ちだよね。やるぞという決意を感じさせるブルペンだった」と期待を寄せた。
ロングリリーフも可能な貴重な中継ぎ右腕。ここで結果を残し続け
「こだわりはあります」と言う先発への復帰を実現させたいところではあったが……。
開幕から中継ぎでの一軍スタートも、登板2試合目だった4月7日の阪神戦(甲子園)で2回5安打3失点。ビハインドの場面で登板し、流れを食い止めることはできなかった。好投しては、リリーフ失敗の繰り返し。3位から逆転Vを目指す最終盤、冒頭のようにファーム調整が続く。残り試合もあとわずかだが、クライマックス・シリーズ(CS)、日本シリーズでの登板の可能性は残されている。春、宮崎で見せたような闘志を前面に出し、現状から這(は)い上がることを誓う。
PROFILE さくらい・としき●1993年10月21日生まれ(28歳)。182cm89kg。右投右打。兵庫県出身。北須磨高-立命大-巨人16[1]=6年。