遊撃レギュラー獲りへの足掛かりをつかんだ昨季。打撃不振もあり、その座は確かなものではない。それでも、挑み続けることこそが自身のスタイル。攻守走すべてに思考を巡らせながら、チームに必要な選手になることを目指す。 文=田口元義(フリーライター) 写真=高塩隆、井沢雄一郎、BBM 
打撃不振でスタメンを外れることも。バットを手にして試行錯誤する日々が続く
技術の向上が心身の支え
潔いくらい未熟さを認めた。
楽天の
山崎剛は、ストレートにネガティブな感情を吐き出す。
「全然できてないっす、何も。スタメンで出てたんですけど、なかなかうまくいかず、もがいてました」 プロ5年目にして初めて開幕スタメンの座をつかんだ。「二番・ショート」。この居場所でシーズンを戦うと意気込んだはずが、3、4月の打率は.153。5月に入るころには、山崎の名はスタメンから消えていた。
「打てないから外されたんですけど」 楽天期待の若手は、不振の原因と対峙(たいじ)し改善に努める。
今までは安易に打ちにいっていなかったか? ピッチャー別に細かく配球を読み、時には、ストレートや変化球のタイミングの取り方を変える必要があるんじゃないか? さまざまなアプローチを模索する。
「バッティングの中での引き出しっていうんですかね。悪くなったときの対処法や、そういうのを考えながら状態を上げていけるように今はやってます。どんな最悪なプレーをしても、次の日には試合がありますし。今年はそういうのでメンタルも鍛えられています」 メンタルと言ったとき、山崎が少し自嘲気味に笑った。自分はまだまだなんで──そんな意味合いが含まれているようである。
そうだった。山崎とは、アマチュア時代から技術の向上が心身の支えとなり、比例するように結果もついてくるような選手なのだ。
力不足を感じ、スキルを磨く。その過程はやがて、
「これだけのことをやってきたんだから大丈夫」という自信をも育んでいく。
山崎が同調するように話す。
「それはもちろんありますし。技術がしっかりとしていれば、そこも安定するので」 山崎の力が全国的に評価されたのは、大学時代だった。
宮崎県の日章学園高から、「日本一レベルが高い」と呼ばれる東都大学リーグに所属する国学院大に進学したのは、「たまたま」だったという。リーグの存在も知らぬまま、「関東で野球をやりたい」という目標もないまま、
「誘われたから」とレールに沿い入学を決めた。
大学では1年春のリーグ戦から出場を果たすと、2年春には早くもセカンドのレギュラーに定着する。ここから5シーズン連続で打率3割以上と快打を響かせ、リーグ史上24人目の通算100安打を記録した。
山崎は淡白ながらも
「しっかり練習したから」と、大台到達の背景を述懐していた。初球から積極的に打ちにいく姿勢が奏功していたわけだが、そこには彼なりの根拠が存在しているのである。
「細かいところになるんですけど、体の使い方だったり、相手はそういうところを崩そうと投げてくるんで。そこに負けないように、『打ちたい』って気持ちで打席に立つ。そのためにしっかり練習しましたね」 つまり山崎は、バッターとピッチャーとの距離、18.44メートルの間合いを大事にしていた。自分のタイミングでバットを振れるように・・・
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