いつ、どこで出番があるか分からない。だからこそ、入念に準備する。プロ入り後に野手転向、3年目で自由契約、育成選手として新天地へ。どんな逆境でも「ゼロから」の挑戦を恐れず、一歩ずつ前に進んできた。 文=福永智隆 写真=桜井ひとし 「四番」でも平常心
5月17日の
オリックス戦。試合前の場内アナウンスに、本拠地ZOZOマリンスタジアムが驚きに包まれた。「四番・一塁・茶谷健太」。プロ8年目で初めて開幕一軍をつかんだ今シーズン。途中出場や日替わりのスタメン出場の中で結果を残し続け、初の四番。最近の活躍を知るファンの期待が高まる中、おのずとチャンスで回ってくる。
4回無死一、三塁。相手先発の
田嶋大樹に2球で追い込まれたあと、ファウルで粘って7球目のチェンジアップを振り抜いた。ライナー性の当たりをセンターへ運び、先制点をもたらした。一塁上ではいつもどおりに控えめに声援に応える姿。5回にも適時打を放ち、2打点で殊勲のヒーローに。お立ち台では、
「ただ4番目というだけなので……。良かったです」。最後まで謙虚だった。
四番は、前日に伝えられた。
「本当にリラックスして、普段どおりに試合に入れました。チームの雰囲気を変えるためじゃないですけど、そういう面でやっていると思うので」 持ち続ける
「出たところでチームに貢献できるように」という思いは、四番で起用されても変わらなかった。
吉井理人監督は昨秋から「四番・茶谷」の計画があったと明かした。
「誰が一番ヒットを打つ確率が高いかなと考えたら、茶谷だった。昨年の秋、フェ
ニックス・リーグにいるころから彼のバッティングが良いのは知っていたので、使えるなと。三振が少なく、いろんなアナリストから彼のスイングはいいよというのを聞いていました」
昨シーズン終盤に遊撃のスタメンが増え、自身最多の57試合に出場。さらなる進化を求めた昨秋のフェニックス・リーグは一つのきっかけになった。
「堀さん(堀幸一=二軍打撃コーチ)と一緒にやっていて、これかなというのがありました」。バットが滑り、弱い打球が多かった欠点を堀コーチとともに修正し、バットのヘッドを立て、強いライナー性の当たりを意識。春先の練習試合も経て、徐々に感覚をつかんでいった。
「四番打者のイメージは?」と問われた茶谷は、
「ホームランバッターですね。村田さん(村田修一=一軍打撃コーチ)みたいな感じです。自分はつなげられるように、頑張っていきます」と笑った。幼少期に横浜スタジアムのスタンドから見て、今は同じベンチに座るコーチの名前を真っ先に挙げた。

今季の茶谷はクリーンアップで起用されるなど、存在感をますます強めている
「投手」にあこがれ
野球との出合いは早かった。のちに東北高で甲子園出場を経験する3学年上の兄・良太(現鷺宮製作所)を追い掛け、4歳のころには練習に混ぜてもらった。
「好きでした。野球しかやることがなかったという感じですね」。中学に入ると、横浜青葉リトルシニアに加入。練習場は家から電車で片道1時間半。
「始発に乗るか、それが無理だったら親に送ってもらうかという感じでした。ほとんどの集合が早過ぎて、毎朝3時くらいに両親に起きてもらって、車で送ってもらったことはすごく覚えています。兄と入れ替わりで、親には6年間お世話になりました」。学校がある平日は練習に参加できず、自主練習。とにかく走り、バットを振った。
高校は県外の山梨・帝京三高に進んだ。進学の決め手は
「ピッチャーができるところ」。
中学ではチーム事情で外野を守り、試合で投げたのは少しだけ。野手でもらった推薦ではなく、やりたいことで決めた。
「とにかく速い球を投げたい」。そんな少年心もあって選択した。
小淵沢町にある帝京三高のグラウンドは、標高800メートルの高地にある。
「八ヶ岳の麓。冬はマイナス5、6度の寒いところでした。高校1年生の終わりに、120年ぶりの大雪で陸の孤島と言われた。自動販売機も、マイクロバスも埋まっちゃうくらいの雪が降って、それが一番の思い出じゃないですけど、記憶に残っていることです」。そういった環境もあり、走り込みが中心の練習だった。
念願だった投手の技術は、一から学んだ。技術を覚え、変化球も習得。3年間で「最速145キロの大型右腕」と注目されるまでになったが、本人は違った感覚があった。
「高校に入って、入学当初の6月にいきなり140キロが出ていました。正直、そのときは150キロなんてすぐいけるかなと思っていたんですけど、結局MAXは145キロ。5キロしか伸びなかったので、本当に全然成長できなかったなと思いました」 投手は素人が数年でできるほど、甘くない。これが必死に向き合った3年間で茶谷が得た率直な感想だった。そんな思いはよそに、甲子園出場はないものの、攻守でチームの柱だった右腕にはプロの話が舞い込むようになる。もともと、高校に入学当初から野球での大学進学を目指しており、最初は半信半疑だった。それでも、次第に現実味を帯びていく。2015年秋のドラフト会議で
ソフトバンクから4位指名を受け、プロへの道が開いた。
「野手」でプロへ
3年間磨いた投手ではなく、ソフトバンクからは野手としての評価だった。入団交渉の場では、バットを手に記念撮影。
「すごくうれしかったですね。プロでできるんだったら、どこでもいいやと思っていたので、本当にゼロから頑張ろうと思いながらやっていました」 ただ、入団した球団は、2年連続日本一に輝いたチーム。周りを見渡すと「スーパースターばかり」だった。トリプルスリーを達成した
柳田悠岐、四番でキャプテンも務めた
内川聖一、
松田宣浩、
中村晃ら球界屈指の打者がそろう。一方で、茶谷は本格的に野手として練習したのは初めてだった。
「本当に下手過ぎて。みんなは最初からやってきている人たちばかりなので、自分は恥ずかしかったですね。正直、プレーするのが嫌でした」 どうにか追い付きたいという焦りは、迷いも生む。一歩進むと、また違う課題に直面。
「上がって戻って、上がって戻っての繰り返し」。そんな日々を過ごした。
三塁から始めた守備は、とにかくノックを受けた。ボールの扱い方、下半身の使い方を学び、
「三軍から始まるので、とにかく量をこなしました。とにかくやって、やって、数をこなしてどんどん覚えていく感じだったと思います。ノックだけで2、3時間は受けていたと思います」。
試合は主に三軍での出場。結果を恐れて
「また試合か」と、不安で仕方なかったという。

高校時代は投手。本格的な野手転向はプロ入りしてからという苦労人だ
2年目の17年は二軍での出場が増え、10月8日のシーズン最終戦となる
楽天戦(Koboパーク宮城)でプロ初出場。4回から松田に代わって三塁守備に就き、6回のプロ初打席では
則本昂大から初安打をマークした。
「どうせ打てないやと思いながら打席に入ったら、たまたま打てた。本当にそれが2年目は一番の思い出でした」 しかし、さらなるステップアップを誓った3年目は一軍出場がなく、チームが日本一になった翌日、まさかの自由契約となった。茶谷と同じく、同期の2選手にも戦力外が言い渡された。
「2年目よりは結果を残せていたので、3年でダメかというのが正直ありました。本当に3年で……と思って。でも、育成でホークスから話をいただいていたので、どうしようかと迷いました。そんなに深くは考えていないです」 ソフトバンクからの育成契約の打診は断った。
「同じ環境でやっていても、やることは変わらない。だったらロッテさんからも育成の話をいただいていたので、違うチームでやって、また一から違う環境でやりたいというのがありました」。
ゼロからのスタートを決断した茶谷は19年1月、ロッテに育成選手として入団。背番号「124」で再出発した。
新天地での出会い
常々
「指導者の方、今まで携わっていただいた方々のおかげです」と感謝の言葉を並べる茶谷。「いろんな方に教わり過ぎていて……」と話すが、その中で「恩師」との出会いがロッテの入団後に訪れる。
今岡真訪二軍監督(現
阪神一軍打撃コーチ)だ。何とかチームに貢献したい。新天地で結果を出したいとの思いがある中、当時の今岡二軍監督はファームの開幕戦となった19年3月16日の
西武戦(ロッテ浦和)で「九番・一塁」のスタメンに抜擢してくれた。
「今岡さんは選手とあんまり話すタイプの方ではないです。育成選手として、ほかのチームから入ってきて、開幕1試合目からファーストで使っていただいて、徐々にショートでも出してもらった。感謝しかないです」 何より、出番があることがうれしかった。この年はファームで118試合に出場し、打率.271。そのオフのクリスマス。12月25日に支配下登録を勝ち取り、背番号「67」をもらった。
「とにかくやってダメだったらしょうがないとずっと思っていたので、ダメだったら本当に1年で終わるなという感じでした」 ラストチャンスをつかむと、20年は一軍に帯同。ソフトバンク時代から指導を受けた
鳥越裕介ヘッド兼内野守備コーチと猛練習に励んだ。
「本当にずっと、相手のビジター練習時間中でも、端っこで練習させてもらっていました。それが今につながっているんじゃないかなと思います」 打撃では結果を残せず、プロに入って一から始めた守備に
「逃げた」と語るほど成長。プロ入り当初は考えられなかったという遊撃でも自信を深めた。
ケガで棒に振った21年を経て、昨季途中から再度一軍に定着。今季は、すでに一塁、二塁、三塁、遊撃と内野の全ポジションでスタメン出場。
佐々木朗希と
山本由伸が投げ合った4月14日のオリックス戦(ZOZOマリン)では山本から均衡を破る適時打を放ち、白星をもたらした。昨季メインだった遊撃ではなく、今季は本格的に一塁守備に取り組んでいる。柔軟性も生かした捕球に、冷静な判断も光る。
未知の挑戦にも、果敢に取り組み、わが道を切り拓いてきた。チームに欠かせないユーティリティープレーヤーにまで成長した。
「こだわりは別にないです。とにかく一軍にいて、結果を残すために頑張りたいという思いしかない。一軍で活躍できれば、それでいいですね」 これからも与えられたポジションで輝いていくだろう。気付けば、唯一無二の選手になっているはずだ。

最近は一塁手として試合に出場する機会が増えている
PROFILE ちゃたに・けんた●1998年1月16日生まれ。186cm90kg。右投右打。神奈川県出身。帝京三高-ソフトバンク16[4]-ロッテ育19、20=7年目。