長いトンネルだった。初安打以来、「H」マークが灯らない日々。連続無安打は野手ワーストに達するまでになったが、暗闇を抜けた今、新たな道を進んでいる。誰もが認めるバッティングセンスを持つ。来季のレギュラー奪取へ、マイナスの経験もムダにしない。 文=上岡真里江 写真=橋田ダワー、BBM 
8月22日のオリックス戦[ベルーナ]でプロ初本塁打。通算100打席目で待望の一発だった
ようやく外れた“枷”
2022年9月10日の
日本ハム戦(ベルーナ)後、
西川愛也はかつてないほど心身ともに打ちのめされていた。
数時間前。守備固めとして9回表からではあったが、試合出場は9月6日以来、3試合ぶり。8月28日以来、9試合ぶりにもらった打席は、人生を変える最高のチャンスだった。0対1で迎えた9回裏、2つの四球で二死一、二塁から
中村剛也が左前適時打で1対1の同点に追いつくと、続く代打の
栗山巧は四球を選び二死満塁。一打サヨナラの大チャンスで、西川に打席が回ってきた。この年、そこまで29打席に立ち無安打だ。代打を出されてもおかしくない場面だったが、ベンチに動きはない。
「ここで打ったら、マジで変わる。絶対に決める!」 人生を変えるべく全身全霊をもって打席に挑んだが、
井口和朋の3球目、130キロスライダーを浅いセンターフライで逸機した。西川にとって、これで20年のデビュー戦初安打以来、安打が出ず59打席連続無安打。ついにNPBワースト記録に並んでしまった。
「オレって、めちゃくちゃ小さい選手だな……」 
3年目の2020年8月16日の楽天戦[メットライフ]でプロ初安打。だが、ここから長いトンネルに入った
帰りの車中で自分を卑下せずにはいられなかった。いつもであれば気分転換のために音楽を流すようにしているが、この日ばかりはそれすらも耳障りに感じる。
「とにかく無音で、魂が抜けたみたいな状態で帰りました」 翌日、登録抹消となり、西川は2年連続でシーズン記録に「打率.000」を記録することとなった。
その2カ月後の秋季キャンプには、明らかに目の色が違う西川がいた。高卒でのプロ入りとはいえ、5年目のシーズンが終わっても一軍で数字らしい数字は残せていない。同学年で同期の
平良海馬が大ブレークを果たし、チームの絶対的リリーバーとして最優秀中継ぎのタイトルを獲得するほどの活躍をしている。一方で、年齢の近い選手が戦力外通告を受けることも増えてきている現実に、本気で危機感を抱かざるを得なかった。全体練習が終わると、個別練習をみっちりこなし、その後は室内練習場で動作解析をしながら打撃フォームを試行錯誤し、そこからマシン打撃に向かう。連日、日が暮れるまで誰よりもバットを振った。
「もう来年しかないので」 口調こそ弱々しかったが、その目には強い覚悟を感じさせられた。
やるからには徹底的にやる。オフ期間の自主トレを、厳しい練習メニューと量で知られる
山川穂高の下で行い、かつてないほど自分を追い込んだ。また、3度の本塁打王を獲得しているその打撃論を聞き、アドバイスを受けながら打撃フォームも改良。
「去年までは、軸足の左足に体重を置いたまま回っていたので差されることが多かったんです。それを、左足から右足へと重心移動して、全体重をぶつけにいくような感じで打つようにしたら、ポイントが安定しました」。
野球に取り組む姿勢も、これまでとは激変した。
「1日中、野球のことを考えるようになりました」。練習している間だけではなく、食事も、その他の私生活も、すべて野球につながるようにと、自然と意識するようになっていた。成果は確実に表れた。オープン戦で打率.294と成績を残し、昨年からの変化をアピールすることに成功。自分自身の中にも確かな手応えを感じ、さらに自信を持って打席に立てるようになっていった。
開幕を目前にケガで出遅れはしたが、4月30日に一軍昇格を果たすと、その日の楽天戦(ベルーナ)でさっそく汚名返上のチャンスが与えられた。
第1打席は空振り三振。これで60打席連続無安打となり、NPB記録をつくることになってしまう。それでも、もう引きずることはなかった。
「割り切って、次の打席、次の打席と切り替えて打席に入りました」 続く2、3打席目も左飛、二ゴロ凡退に終わる。そして7回に迎えた第4打席だった。カウント2-2からの
西口直人の5球目、チェンジアップを中前へはじき返し、20年のデビュー戦以来、63打席目でついに『H』ランプを灯した。
「見える景色に色がつきました」 一塁へ走り出した瞬間、思わず左手を硬く握り締めた西川。一塁上で
赤田将吾コーチとグータッチをし、スタンドを見渡すと、これまでの灰色ではなく、本来の色とりどりで鮮やかな視界が広がっていた。
「『0』が『1』になった感じ」 苦しめられ続けた“枷”が、ようやく外れた。

4月30日の楽天戦[ベルーナ]で987日ぶりの安打。連続打席無安打の野手ワースト記録を62で止めた
“間”を意識して
だが、これがゴールではない。ある意味、ここからが本当の意味でのスタートである。そして、早々に“プロ野球”という結果がすべての世界における厳しい現実に直面することになった。今季初安打を放つも、その後はなかなか続かない。結局、5月10日、27打席に立ち4安打という時点でファーム再調整となった。
「落ちたとき、なんかプツンとスイッチが切れて。『あ、今年はもうないな』って」 決して状態自体は悪くなかった。それでも、結果が出ていなかった以上、「しょうがないよな」と納得できる部分と、一方で、「もっといけたのに、ここで落ちるかー」という絶望感。その相まった気落ちが直に打撃にも現れ、ファームでの打率もどんどん下がっていく一方だった。
「最初に一軍に上がったときには、残りのシーズン全部一軍で行くつもりだったので、10日で落とされてしまって、理想と現実の差に、さすがに落ち込みました」 それでも立ち止まるわけにはいかない。どんなにヘコんでいても、今年初めに決めた『人がやってないときにやることが大事』との自分への誓いだけは貫き、練習量だけは絶対に落とさなかった。
また結果が出なかった以上、何かを変える必要があることは明白だ。自主トレから取り組んできた取り組みや打撃フォームには自信があったが、あらためて
小関竜也ファーム野手総合兼打撃コーチと、そのときの打撃練習などの映像を見直すと打てない理由がはっきりと見えてきた。
「自分の中に、しっかりとした“間”がないといけないのですが、良い打者は“間”が長いので、ボールを呼び込める。それで、ボールかストライクかの判断ができるのですが、僕のやっていた打ち方を見返したら、その“間”が全然なくて」 ここまで信じて積み上げてきたものを大きく変えるのはさすがに勇気が必要だったが、挑戦するしか次に進む道はなかった。だが、結果として、その取り組みが次への扉を開いてくれることとなる。
打撃フォームを改善したものの、ファームでもなかなか結果がついてこない日が続いた。時にマルチ安打を打てる日もあったが、「全然うれしくなかった」という。ほかの二軍の外野手たちの状態も良く、一軍の外野手も必死に食らいついている。
「この打率のままじゃ、僕は上がれないなあ……」。気がつけば、“一本”が出たことで払拭されたはずの不安が再び胸に忍び寄ってきていた。
そんな、焦りを抱えていた8月11日、思いがけず一軍昇格の声がかかったのである。5月に登録抹消となって以来のチャンスだった。正直、その時点では新しいフォームはそこまでしっくりときていたわけではないという。それでも昇格した日の試合前の打撃練習中に“良い感覚”に出合い、実際、その
ロッテ戦(ZOZOマリン)で途中出場し、中前打を放つことができた。そのときに
嶋重宣打撃コーチから表現された「左目で、ボールを後ろから見るような感覚」という言葉が、西川のイメージとピッタリ合った。
「その感覚をつかめたことで、自分の中に“軸”ができるようになって、自然とポイントも前で打てるようになりました。ボールもあまり速く見えなくなったので、右足を着くまでの“間”も長く取れるようになったと思います。そこから、すごく良い感じで打てるようになりました」 結果として、ファームで取り組んできた、“間”への意識が、ここでしっかりとつながったのだった。そして、8月は14試合に出場し、22打数6安打、打率.273の成績を残し、リーグ戦の最後は2試合連続安打と、手応えをつかんでシーズンを締めくくることができた。
「最後かもしれない」と位置づけた勝負の23年を41試合出場、22安打、1本塁打、8打点、打率.227で終え、「まずは無安打記録を止められたという点では、去年よりは前進できた1年かなと思いますが、成績で見ると、まだまだ課題が残るシーズンでした」と西川。プロ野球選手として数字らしい数字を残すまでにかかった6年という月日をあらためて振り返り、
「時間がたつのは早いですが、正直、こんなにかかるとは思っていませんでした」と照れ臭そうに笑う。
チャーミングさと真面目さ
小学生時代から全国制覇を経験し、花咲徳栄高では夏の甲子園優勝も成し遂げるなど、エリートコースを歩んできた。もちろん、プロの世界でも順風満帆なキャリアが待っていると、想像していた。
「(高校時代に負った)大胸筋断裂のケガ次第だとは思っていましたが、1年目の最初に結構打てて、あとは投げるだけの状態だったので、『早く投げられるようになりたい』と思っていました。2年目にやっと守備に就けるようになって、9月に月間MVPを獲って『いよいよ来年は一軍に行こう!』と思っていて。で、3年目は一軍で3試合。自分の中では3年目ぐらいから活躍できるかなと思っていたのですが、なかなか。そんなにうまくいかなかったですね」 肩のケガが完治後も、何度もケガに苦しめられてきた。3年目からは内野から外野手に転向。高校時代も外野を守ったことはあったが、
「プロの打球って、アマチュアとはまったく違うんです! 想像もできない動き方や切れ方をするので、めちゃくちゃ難しくて。冗談じゃなくて、フライがまったく捕れませんでした。ノックでも本当に捕れない。(転向)1年目なんて、試合で一度もフライが捕れませんでしたから。全部落としたり、届かなかったり、飛び込んだり。それを、コーチの方や愛斗さん、キムさん(木村文紀、現育成担当兼人財開発担当)が、本当に親身になって、いろいろ教えてくれたおかげで、ここまで成長できました」。
打撃フォームも、何度も何度も試行錯誤してきた。だが、西川は、こうした紆余曲折の日々こそが、自分なのだと受け止めている。
「たぶん、普通の選手では味わえないぐらいの、いろんな意味で濃い6年間だったんじゃないですかね」 不名誉なNPB記録も樹立したが、今となれば
「超えられるものなら超えてみろ! って感じ」と、すっかり笑い飛ばせるようになった。
「でも、実は何打席かタコ(凡打)ったらまた思い出して結構怖いんですけどね。2試合続いたりすると、『ヤバっ! マジで1打席目を大事にいかんと』と、ちょっとよぎるんですよ。で、すぐに『いやいや。さすがにもう大丈夫』って」 こんなふうに過去の失敗を隠すことなく笑いながら話題にもでき、かといって決して「過去のこと」と軽く忘れ去るのではなく、得た教訓をしっかりと胸に刻み、成長へとつなげている。このチャーミングさと真面目さこそが、西川の最大の魅力なのである。
そんな西川にだからこそ、あえて尋ねてみた。
「不名誉な記録をつくってしまいましたが、逆に、名誉な意味で、『将来こんな記録をつくってみたい』というものはありますか?」
ちょっとだけ考えたのち、返ってきた。
「打率4割とか! 不名誉な記録をつくった分、逆に今度はエグい記録をつくってみたいですけどね」。そう言うと爆笑し、「まだ3割も打ってないのに(笑)」と自分でツッコミを入れつつ、続けた。「でも、夢は大きいほうがいいですからね」。
その密かな大きな個人の夢と同時に、今秋季練習中、嶋コーチとの青空ミーティングで言われた一言が、西川の胸に強烈に刺さって消えない。
「優勝っていいぞ。特に自分がレギュラーで優勝したときの喜び、その価値は全然違うぞ」
それを味わうことが、今の西川の最大の目標だ。来季も、ライオンズの外野手争いは熾烈になるだろう。
「獲ったもの勝ちなので、容赦なくいきたいです」 自らの力で色を取り戻した景色の先にある、まだ見ぬ頂はどんな彩りに映るのか。己の目で確かめたくて、7年目のシーズンへ向けて地道にコツコツと武器を研ぎ澄ましていく。
PROFILE にしかわ・まなや●1999 年6月10 日生まれ。181cm87kg。右投左打。大阪府出身。[甲]花咲徳栄高-
西武18[2]=6年。