ずっと目指してきたメジャー・デビューから208日後にNPB入りを決めた。ベースボールと野球の違いに戸惑いつつも、出合った言葉に救われながら常に前を向いてきた男は、これからも力強く歩き続ける。 文=井上陽介(スポーツライター) 写真=桜井ひとし、BBM 想像と違ったデビュー
寝ている間に、加藤豪将の新たな野球人生が始まっていた。2022年10月20日、日本で開催されたドラフト会議で日本ハムからドラフト3位指名。その瞬間はサンディエゴにいた。現地時間で深夜2時ごろ。ベッドの上で夢の中にいたが、目が覚めても夢のような高揚感があった。その5日後、当時所属していたメッツ傘下のシラキュースからリリースされ、新たな挑戦への覚悟が決まった。
「そのときにはもう交渉する前から日本に行きたいと思っていました。代理人に『何でもいいから、俺はもう日本に行くから』と伝えました。(日本行きの飛行機の乗るために)空港に行く途中に代理人と会って、サインして、飛行機に乗りました。ギリギリでした」 運命を変えたドラフトから2週間後の11月4日。早くも日本で入団会見に臨んでいた。侍ジャパンとの試合で東京ドームにいたチームに即合流するため、会見場は東京ドームホテル。隣の席には
新庄剛志監督がいた。背番号3の真新しいユニフォームに袖を通した。
「北海道日本ハムファイターズの加藤豪将です。今、そのような言葉を言っているのが本当に夢のようで、信じられないです。2週間前にドラフトされて、まさか自分がここに、東京ドームで記者会見を開けて、新庄監督の隣で話しているのが本当に夢のようです。自分は名字も加藤なんですけど、完全にアメリカ生まれアメリカ育ちの、JRにも乗ったことのないガイジンです。(時差ぼけで)今眠い中、日本語を頑張ってしゃべっていきたいと思います。よろしくお願いします」 10年目でのメジャー・デビューから、たった208日後に新世界へ飛び込んだ。さあ、これからメジャーでもっと……と考えそうなタイミングで、なぜ決断できたのか。その裏には、会見での晴れ晴れとした表情からは想像できない、葛藤があった。
「本当にデビューしてから2週間くらい、すごい自分が悩んでいました。メジャー・デビューしたのに、なんでこんなに達成感がないんだろうって、モヤモヤしていたんですよね」 ブルージェイズにいた22年4月9日。ついに追い求めてきた瞬間がやってきた。本拠地のカナダ・トロントでのレンジャーズ戦の8回。代走でメジャー初出場。NPBを経験していない日本人野手としては、初めてメジャー・リーガーとなった。
6歳のころからの夢だった。サンディエゴで暮らしていた幼少期に、日本人メジャー・リーガーにあこがれた。最初は当時マリナーズに所属していた
イチロー。地元のパドレスとの試合を生観戦したときから、将来の夢はメジャー・リーガーだった。
「それからおよそ21年間。毎日、毎日、1分もムダにせず、メジャー・リーガーになるというゴールへ向かうジャーニーを歩んできました。でも、マイナー9年間、野球人生21年間をかけてやっとメジャーの舞台に立ったときに、楽しさ、うれしさ、そして達成感が全然なかったんです」 6歳のころから抱いてきた夢をようやくかなえたはずなのに、ゴール後の景色は真っ暗だった。なぜだろうと考えても・・・
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