1年前とはまったく違う立場に置かれた自分。それでも、指揮官の声掛けに前を向き、“そのとき”に向けて準備を整えて出番を待つ。複雑な思いも、待ってましたと迎えてくれる大歓声が新たな生きる道を全力で支えてくれている。 文=田尻耕太郎(スポーツライター) 写真=湯浅芳昭、BBM 全身で受け止めて打席へ
あのイントロが流れる。その刹那、数万人の視線が一斉に打席へ歩むたった1人の男に向けられ、大歓声が沸き起こる。ただの歓声ではない。ファンがあらん限りに声を張り上げるのは応援なのだが、その叫びはまるで切なる願いや祈りにも聞こえるのだ。
爽やかで跳ねるようなメロディーの正体は世界的歌手のEd Sheeran(エド・シーラン)の代表曲『Shape of You』。しかし、ソフトバンクのお膝元である福岡で正式な曲名と出合うのは容易ではない。地元民はさも当然の顔で「中村晃の曲」と答える。
本人はどう感じているのか。そう水を向けると、普段クールな男は表情を和ませた。
「もう変えられないですね(笑)。でも、あの曲が流れるだけで僕だと分かってもらえる。それが一番いいのかなと思っています」 もともと打席に入る際の登場曲というのは多彩で、これまで使用してきた楽曲は覚え切れないほどある。その中でこの至極の一曲と出合ったのは2017年の秋のことだった。
「僕が好きなメジャー・リーガーが使っていた。それがきっかけです」 その選手とはジャスティン・ターナー(現ブルージェイズ)。中村晃はそのころからメジャー・リーグの野球に興味を持ち始めて試合を見るようになった。当時はドジャースの主砲だったターナーはポストシーズンでサヨナラ本塁打を放つなど、目覚ましい活躍を見せていたのだ。
「ターナーは右打者で三塁手。僕とはまったく違うんですが、めちゃくちゃ打つ姿が強烈だったんです」。
中村晃もまた、無類の勝負強さで、これまで数え切れないほどのチームの勝利に貢献してきた。そんな男がプロ17年目を迎えた今季はここまで、代打の切り札として起用される場面が多くなっている。
「スタメンで出ているときより、声援がはるかに大きい。ありがたいですよ」 選手によっては集中力が高まると球場に轟く声が聞こえないというが、中村晃は違う。耳に届くだけでなく、全身でそれを受け止めている。
「聞こえます。聞こえるから、そのままでは打席に入れない。1回、気持ちを落ち着かせて、やることを確認してから入るようにしています。特に代打では、時間を長く使うように。本来は早く準備をしなきゃいけないんでしょうけど、数少ないながらも自分自身の経験の中で感じたことなので」 あの日も、ものすごい「声」だった・・・
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