移籍は「0」からのスタートではない。移籍した時点で1になっている。そこからもう一度、危機感を持って臨んでいる。もちろん、昨年の日本一のチームから手を挙げてもらったことに深い感謝をしながら、再び花を咲かせて見せようと腕を振っている。 文=柏原誠(日刊スポーツ) 写真=牛島寿人、佐藤真一 心が前向きに切り替わった
「ピッチャー漆原」のコールとともに、ライト側ポールの下からリリーフカーで颯爽と登場する。歓声と拍手は明らかに開幕当初より多くなった。彼の奮闘ぶりをファンはもう分かっている。ビハインドの展開に始まり、接戦、そして逃げ切りと、次第にブルペン内の序列を上げ、「投手力で勝ち切る」阪神のシーズン序盤を支えてきた。 もう半年がたった。漆原は「あの日」のことを鮮明に覚えている。自宅でリラックスしていると、虚を突いた着信があった。スマホの表示は
オリックス球団マネジャー。「現役ドラフトで選ばれました」。2023年12月8日。昼ごろから現役ドラフトがあることは知っていた。チーム内の立ち位置から、自分が指名される可能性がゼロではないと想定もしていた。
ただ、会議開始からまだ30分ほどしかたっていない。しかもなぜか、電話口で移籍先のチームがどこか、伝えられなかった。多少のモヤモヤを抱えながらも、ともかく5年間を過ごしたオリックスを退団する事実をいったん受け入れた。
家族や知人に報告をした上で、大阪・舞洲の球団施設に向かった。
「どの球団だろう。関東かな? 関東は行ったことがないな。日本ハムだったら家はどうなるんだろう……北海道?」。そんなことを漠然と考えながらハンドルを握った。
応接室では
福良淳一GMら球団関係者が待っていた。そこで初めて移籍先を「阪神」と告げられた。漆原は
「分かりました」とはっきりと応答した。愛着のある球団を離れる寂しさ。新天地での不安も、なくはない。それよりも心が前向きに切り替わっている自分を感じた。
「オリックスには育成で指名してもらって、支配下に上げてもらって、勝ちも負けも、ホールドもセーブも全部、経験させてもらった。成長につながった。感謝しかないし、本当にありがたかったです。5年間の思い入れはあったけど、現役ドラフトで指名されて、よし、やってやろうと思いました。ましてや日本一の阪神から指名をいただいた。ありがたい気持ちだし、しっかりしないといけないという気持ちのほうが大きかったですね」 まだ実施2回目の現役ドラフトという制度には、悪いイメージを持っていなかった。前年の第1回現役ドラフトで成功例があったからだ。
ソフトバンクから阪神に移った
大竹耕太郎は12勝2敗と飛躍し、優勝に大きく貢献した。
DeNAでくすぶっていた
細川成也は
中日で24本塁打と大ブレーク。漆原にとって新潟医療福祉大の先輩である
笠原祥太郎(中日→DeNA)は1年で戦力外になってしまったが、それでも、この機会をチャンスと受け止めることができた。
オリックスはリーグ3連覇の黄金期のさなかにあった。安定した戦いを支えるブルペン陣は、緻密なマネジメントで毎年戦ってきた。選手の入れ替えも積極的だった。23年のシーズン前半には
鈴木康平が
巨人にトレードで移籍。漆原の現役ドラフト直前には
吉田凌(現
ロッテ)が戦力外通告を受け、その直後には
近藤大亮が巨人へ、
黒木優太が日本ハムにそれぞれトレードで移っていった。23年の漆原は中継ぎで16試合、防御率3.00。決して安泰な立場ではないことは察していた・・・
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