2022年、手応えのあるシーズンだった。それが一瞬で暗転してしまった。長く苦しいリハビリを乗り越え、ようやく一軍の舞台に戻ってきた仕事人。まだまだここから、さらなる輝きを放つ。 文=北川修斗(スポーツライター) 写真=川口洋邦、兼村竜介、BBM 復帰がゴールではない
また戻って来ることができた。5月21日の
中日戦(東京ドーム)、712日ぶりとなる先発出場。スタメン発表で「二番・立岡」と
コールされると、本拠地のファンから大きな拍手と歓声が沸き起こった。シートノックを受けていた立岡宗一郎は
「歓声が大きくて鳥肌が立った。めちゃくちゃうれしかった」と全身で受け止めていた。
「『戻ってきたな』というのを感じる余裕はそんなになかった。『こんな感じ、この緊張感だな』と思いながら、ちょっと吐きそうになりながらだった」。復帰初戦を終えると、緊張感をかみ締めながら、そう振り返った。
左膝前十字じん帯損傷の大ケガを乗り越えて、表舞台に帰ってきた。同日に支配下復帰が発表され、即一軍昇格、即スタメン出場。練習後に東京ドームで行われた復帰会見で新しい背番号「23」を背に、自らに言い聞かせるように、こう言った。
「もう1回、ここから全盛期だと思って頑張ります」 30歳を超えて育成契約も経験した苦労人。今季34歳を迎えた男は、再出発へ向けて、そんな言葉で自らを奮い立たせた。きっかけは今村司前球団社長の言葉。支配下復帰会見前にあいさつをした際に「まだまだ全盛期だぞ」と声を掛けられた。
「確かにそうだな、と。自分を奮い立たせる言葉にもなるなって。思っておくだけじゃなくて、口に出したほうがいいなと思って(会見で)使わせていただいた」 復帰がゴールではなく、ここから──。そんな思いが詰まっていた。
2022年6月9日の
西武戦(ベルーナ)で、アクシデントに見舞われた。9回の右翼守備で
外崎修汰の右中間の飛球を追った際に中堅・
丸佳浩と交錯。左膝を負傷して起き上がることができず、途中交代となった。
「(ベルーナ)ドームの天井を見ながら仰向けで『もったいな』って思ったことをめっちゃ覚えている」。
上り調子の中での負傷だった。22年は開幕一軍スタート。4月9日の
ヤクルト戦(東京ドーム)では、
梅野雄吾(現中日)からプロ14年目で初のサヨナラ弾を放った。5月20日の
阪神戦(甲子園)では、途中出場で延長12回の死闘に決着をつける決勝の右前適時打を放つなど、首位争いをしていたチームの中で存在感が増していた。
同年は
グレゴリー・ポランコ(現
ロッテ)、
アダム・ウォーカー(現
ソフトバンク)が両翼でスタメン出場することが多く、2人の守備固めや代走からの途中出場がメイン。
「役割が明確になったときだった。もちろんスタメンで出たい気持ちもあったけど、役割がはっきりしていてすごいやりがいを感じてた中でのケガだったから……」。翌日には出場登録を抹消され、同月末に左膝前十字じん帯再建手術を受けた。
「頭の中が一瞬真っ白になったというか……。何も考えられなかった」 長いリハビリ生活は、日常生活へ戻るところから始まった・・・
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