新人ながら開幕戦でクローザーに抜擢された昨年。勝利目前で“失敗”を犯したが、それを糧にして前に進んできた。先発転向した今季、プロ初勝利を完封で飾るなど、成長を見せつつある。“氣持ち”が武器である2年目右腕の今後が楽しみだ。 文=上岡真里江 写真=桜井ひとし、BBM 1年目に積んだ多くの経験
それは、あまりに“鮮烈”なデビュー戦だった。
2023年3月31日。本拠地・ベルーナドームで行われた開幕の
オリックス戦、2対1と1点リードの9回表のマウンドに
コールされたのは、青山美夏人の名前だった。前年度日本一チームの、三番から始まる強力打線に対し、
松井稼頭央監督は、大卒ルーキー右腕を大抜擢したのだった。
先頭打者の
西野真弘をファーストゴロ、四番・
杉本裕太郎をショートゴロと、新人ながら持ち前のマウンド度胸で着々とアウトを重ね、ファンを含め、ライオンズに関わる誰もが「大物新守護神誕生」への予感を深めつつあった。だが、その希望は、一瞬にして打ち砕かれた。3人目の打者としてバッターボックスに迎えたのは、22年までライオンズに在籍し、主軸の一人として打線を牽引していた
森友哉だった。
その初球、青山が最も自信を持つフォークボールをライトスタンドへ運ばれ、一瞬にして勝利は目の前から消え去った。結果、次打者・
中川圭太をライトフライに打ち取り、同点で止めたものの、チームは10回表に失点し逆転負け。青山はキャリア初日にして、失投を決して見逃してはくれないプロの超一流打者の技術力の高さ、“一球”の強さ、そして“クローザー”というポジションが背負う責任の重さを思い知らされたのだった。

昨年開幕戦で9回二死から森に同点弾を浴びた
だが、そこで自信を喪失し、引きずる程度のメンタルの投手なのであれば、
豊田清投手コーチがシーズンに勢いをつけるための重要な開幕戦の抑えに、わざわざ新人右腕の起用を指揮官に進言するはずがない。プロの洗礼を浴びた青山だったが、翌日には
「早く借りを返したい」とリベンジに燃えていた。そして、連敗で迎えた同カード3戦目。4対1と3点リードで迎えた9回表に、雪辱のチャンスは巡ってきた。安打と四球で一死一、二塁のピンチを招いたが、続く九番・
茶野篤政をレフトフライ、一番・
野口智哉をショートフライに打ち取り、プロ初セーブを記録した。

森に同点弾を浴びた2日後の同カードでプロ初セーブを挙げた
23年シーズン最初のお立ち台に上がった22歳は、
「これから長いシーズンになると思いますが、自分が最後を締めくくって、もっともっと勝利を届けたいと思います」と初々しく宣言したが、その後は、セーブシチュエーション以外での登板も少なくなく、セットアッパーやビハインドの場面など、さまざまなポジションで起用された。
そこには、チームの将来を担うべく豊かな才能への大きな期待が込められていた。初セーブを挙げて間もなくのころの豊田コーチの言葉からも、その思いは汲み取れる。
「まだ1年目ですし、今回の(開幕戦のセーブ失敗の)経験もそうですが、今後もいろいろな経験をしてほしいなと思っています。シーズン中に、回またぎや
ロングリリーフ、いずれは先発も含め、現時点で『ここ』とポジションを決めず、あらゆる可能性を探っていきたいと思っています」
そして、言葉どおり、4月30日の
楽天戦(ベルーナ)では回またぎ、8月13日の
ロッテ戦(ZOZOマリン)では初先発、さらに自身シーズン最終登板となった10月2日のロッテ戦(ZOZOマリン)では3回を投げるロングリリーフと、ルーキーイヤーにして多大なる経験値を積んだ。
「本当にありがたいことです。何よりも、二軍ではなく、一軍でそういう経験をさせていただけたことが、本当に感謝です。中でも、シーズン最後の登板で3イニング投げたときには、5奪三振も取れて、『これだけ投げられるようになったんだ』と、良い自信につながりました。それがあったから、自分の中に『先発として勝負してみたいな』という気持ちが芽生えてきたんだと思います」 先発転向を果たした2年目
本人の思いとリンクするように、シーズン終了後、秋季練習時に行われた投手コーチ陣との個人面談の席で、豊田コーチから「来季は先発で」と告げられた。聞いた瞬間、
「正直、大丈夫かな? という不安のほうが大きかった」と言う。
だが、同時に、
「1年目で、中継ぎもできるということは証明できたと思います。なので、先発転向への挑戦によって、もっとピッチャーとしての幅が広げられるんじゃないかと、うれしさも大きかったです」。モチベーションが急激に高まったのもまた事実だった。
早々に参加が決まっていた11月25日からの台湾でのウインター・リーグから先発での起用を明言されたが、いざマウンドに上がってみると、大学時代とは違い、プロの世界での先発というポジションは決して簡単ではないことをあらためて痛感することとなった。
「台湾で、最初は中6日で回るという話だったのですが、なかなか疲労が抜けなくて。最初の登板で5イニングを投げたのですが、『5イニングでこれだけ疲れるなんて、9回を投げたらどれほどなんだろう?』というぐらいキツくて、心の底から『先発の人ってすごいな』と強く思いました」 先発は自身初戦のみで、残りの3試合はすべて中継ぎでの起用となった。
そうした事情からも、春季キャンプはB班スタートとなった。ルーキーイヤーの昨季は、キャンプ時から常に一軍での生活だっただけに、
「え? みたいな感じではあった」と率直に本心を明かす。だが、豊田コーチから直接連絡をもらい、B班スタートになった経緯とともに、
西口文也ファーム監督や
榎田大樹ファーム投手コーチ、
武隈祥太球団本部ハイパフォーマンスグループ付バイオメカニクス担当兼コンディショニングチェック担当など、現役時代の経験値豊かなファームスタッフの中で、「しっかり、もまれてこい」とのフォローを受けた。
その上で「去年一軍にいたのは当たり前じゃない。みんなが一軍を目指している中で、きちんとほかの投手と争って、這い上がってつかみ取ってこい」との発破もかけられ、1年目とはまったく違う、本当の意味での“実力勝負の世界”に身を置いていることを痛烈に実感させられた。
先発転向にあたり、ウインター・リーグのころから、テークバック時に違和感を覚えていたという。
「上がってくるのが早くなってしまって、ためがなくなってしまったことでスピードもあまり出なくて」 引き出しの多い榎田コーチにアドバイスを仰ぎ、連日、個別練習で動きの確認をし、投球フォームの改善に努めた。
そして、5月10日に今季一軍初昇格。ファームでは11試合登板、5勝2敗、防御率2.53の数字を残せてはいたが、球速に関しては「思うように上がってなくて」と不安を抱えながらでもあった。それでも、同日の今季初登板では、最速149キロを計測。だが、4回2/3で8安打を浴び3失点(自責2)で敗戦投手となった。
「一軍に行ったら、雰囲気やアドレナリンが出たこともあって、スピードは出ていたのに打たれて。あらためて『そこ(スピード)だけじゃないんだな』と思いました。結果として、その試合は三振がゼロで、空振りが取れない。『なんでだ?』と突き詰めて、それが変化球のキレのなさなのか、真っすぐが高めに浮くからなのかなど、いろいろ考えた結果、真っすぐが浮いてしまったことで、高めに来たら真っすぐ、低めだったらフォークだと、相手バッターからしたら見極めやすかった」という分析結果に至った。
そして、再びファームで「真っすぐをしっかり強い球で低めに投げることで、フォークと思わせること」に特化。加えて、昨季夏場にスタミナ切れし、「スピードは出ていながらも、簡単にはじかれたりしていた」との課題を教訓に、
「ほかの人よりも、走り込みを1.5倍から2倍ぐらい増やして走るようにしていました」。
本当の意味での“リベンジ”
そして、6月14日に一軍に再昇格すると、徐々に投球回数を増やしていきながら、自身今季4試合目の登板となった7月17日のオリックス戦(ベルーナ)。プロ初完投、初完封、初勝利という最高の結果を手にした。
「自分でもびっくりしてて。7回のマウンド以降は初めてだったので、8回は行かせてもらいつつも、『これが最後のイニングだ』という気持ちで投げて、ゼロで抑えられて、ベンチに戻ったときに『(次の回も)どうだ?』と言われて。僕からしたら、『逆に、次も行っていいんですか?』という感じ。『行かせてもらえるんですか? だったら、絶対に行きたいです!』と伝えて、最後まで行かせてもらいました」 
7月17日のオリックス戦でプロ初勝利を完封で飾ると、お立ち台でウイニングボールを見つめて喜びをかみ締めた
さらに、このプロ初勝利には、初完投初完封に加え、青山自身とって非常に大きな意味があった。
9回のマウンドも任せてもらえることが決まった瞬間から、頭の中には相手打線の顔ぶれが浮かんだ。二番から始まる打順のラストに、四番・森友哉がいる。
「3人目が森さんだと分かっていたので、絶対にその前には走者を出したくないと思いながら投げていました」 実は、昨年の開幕戦で味わった痛過ぎる傷を、青山はずっと
「あの悔しさは忘れられないし、絶対に忘れてはいけない」と胸に刻み、投げ続けてきた。そしてこの日、順調に2アウトを奪い、昨季開幕戦以来、再びラストバッターに森を迎えた。
当然、「あの日のことがよぎりました」と青山。さらに、当時の森は16試合連続安打、21試合連続出塁中と、
「森さんが打つことで、チーム自体も乗ってしまう」最警戒打者だっただけに、細心に細心の注意を払い、カーブでライトフライに打ち取った。
「初セーブのときは、森さんとは対戦していません。でも、この試合は4打席とも抑えられたので、僕にとっては今回の(初勝利という結果の)ほうが大きいです」 多くの意味で自信となる『1勝目』であり、ようやく果たせた、本当の意味での“リベンジ”となった。
その後、オールスターゲームを挟み、2度の先発機会を得たが、いずれも結果を残せず、8月20日に登録を抹消された。
本格的に先発要員として計算される中で、いま、あらためて強く感じているのは、「立て直し」と「切り替え」の重要性だ。先発投手として毎試合ゲームをつくることが毎試合の役割とされるが、早いイニングで失点した際の難しさを痛感しているという。
「例えば、初回に本塁打を打たれても、隅田知一郎さんとかはしっかりとその後を失点ゼロで抑えられていて、本当にすごいと思います。僕はまだ、そこから立て直すことができないことが多くて。打たれたことは引きずらないことが大事だと思います」 1年目のリリーバー経験から、試合ごとの切り替えはできているが、試合中の切り替えや心の処し方こそが、現時点での大きな課題となっている。
そんな青山には、亜大時代から大事にしているモットーがある。『最後は氣持ち』という言葉だ。
「日本一厳しい」とも評される亜大野球部の環境下で4年間鍛えられたこともあり、
「“氣持ち”がなかったら勝ててなかった試合も多かったと思います」と、大学時代を振り返りつつ、活躍の場をプロの世界に移したこれから先も、その心持ちをいつまでも持ち続けていたいと話す。
大学1年時から、『野球ノート』を書くことを義務付けられていたが、4年間で約50冊近くにもなったノートの表紙には、必ず名前とともに『最後は氣持ち』と太いマジックで書いた。グラブにも刺繍で入れている。そして、マウンド上でつらいときには、その刺繍を見て
「大きな声を出して投げて、不安を払ってきました」。あえて『氣』を選ぶのは、「エネルギーが八方に広がる」という意味が込められた文字であるからだ。どんなときでも、持てる力のすべてを発揮することが、青山の最大の魅力である。
今後目指す理想の投手像には、大学の先輩でもある
九里亜蓮(
広島)の名を挙げる。
「いろいろな球種もあって、ゴロアウトが多い。もちろん三振も取りたいですが、低めに集めて、相手に思いどおりのスイングをさせないような投球をしたいなと思っています」 プロデビュー戦で味わった痛恨の傷と、どれほど長くプロ人生を重ねたからといって必ずしも達成できるとは限らない初完投初完封勝利という栄誉。2年目にして、どちらも兼ね備えているその経験値こそが今後の最大の武器となるだろう。青山の飛躍が、最下位に沈むライオンズ再建のカギを握る一つとなることは間違いない。
PROFILE あおやま・みなと●2000年7月19日生まれ(24歳)。183cm94kg。右投右打。神奈川県出身。横浜隼人高-亜大-西武23[4]=2年。