小さいころから、あこがれ続けた高校があった。進学を悩んだ時期もあったが、自分の気持ちに従った。背番号1を背負って甲子園V腕となり、プロの世界へ。今の自分があるのも、あの日々があったからだ。 文=川本光憲(中日スポーツ) 写真=兼村竜介、牛島寿人、BBM 末っ子の甘えん坊
声色、表情ははっきり覚えている。まだ小学生だった清水少年。目の前に立っていたのは花咲徳栄高の岩井隆監督だった。のちに師弟関係となるとは、お互い思っているはずもない。少年からしたら、あこがれの高校の監督。監督からしたら、近所の子どもだった。
「ファンでしたし、それよりも強いマニアでした」 清水によると、通っていた治療院のつてで母と練習試合に足を運んだ。試合後、その治療院の関係者が岩井監督と談笑した。そして、清水の存在に触れた。
「この子、徳栄行きたいんですって」
そのとき、少年の背筋は伸びた。
「おう、待ってるからな」
言われたほうは、はっきり覚えているものだ。
「行きたい高校の監督ですよ。ただ、練習試合で選手を叱っているのを見ました。高校野球の監督って怖いなーって。圧がすごかったです。小さかったから、大人を見て怖く感じたところもあると思います」 そのとき、岩井監督を作り上げる要素の一つに「怖さ」が埋め込まれた。
埼玉県深谷市出身。農家の3番目として生まれた。両親、祖父母と6歳上の兄、4歳上の姉と暮らした。ユリやチューリップ、米や野菜を作っていた。自宅敷地には複数の作業場があり、徒歩数分のところにも別の作業場がある。トラクターなど多くの農機具が置かれていた。
甘えん坊だった。母の車で保育園へ向かう。もう、涙があふれそうになっていた。
「保育士の方に『早く帰りたい』って泣きついたのは覚えています。困らせていましたね」 帰ってからは兄とその友人と遊んだ。サッカーや野球に親しんだ。小学1年で軟式の藤沢小少年野球に入団。運命が動き出すきっかけは肘痛だった・・・
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