現在の巨人にとって、最大の問題は阿部慎之助が一塁手に転向した後の捕手である。今年のキャンプでは2年目の小林誠司に英才教育を施して正捕手への道を開こうとしているが、昨年は63試合(捕手としては58試合)の実績しかないこの2年目の捕手が、果たして阿部の代わりを務めることができるのか。それができないとき、巨人は阿部が入団する前のレギュラー捕手不在の苦しい時代を覚悟しなければならない。 過去にも長く続いたレギュラー捕手不在の時代
空前絶後とも言える65年から73年までのV9時代の巨人を支えた捕手は森昌彦であった。V9がストップすると森は引退。巨人に確固としたレギュラー捕手不在の時代が続いた。
78年に入団した
山倉和博が3年目の80年から正捕手となって巨人の捕手難は解決したが、87年の規定打席到達を最後に山倉が衰えると後継者が現れない。88年から00年までの13年間巨人の捕手で規定打席に到達した選手はいない。その間の巨人の最多出場捕手はこうである。
88年=
有田修三、89年=
中尾孝義、90、91年=
村田真一、92年=
大久保博元、93~00年=村田真一だが、13年続けて規定打席に達した捕手はいなかった。
00年を例にとると、村田真一の98試合、以下は
村田善則70試合、
杉山直輝37試合、
加藤健3試合、
小田幸平が2試合と5人にマスクをかぶらせた。
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今シーズンから一塁に本格転向した阿部。この男の後継者育成が巨人最大の課題である
その巨人に01年に中大から阿部慎之助が入団してきた。阿部は大学1年当時から全日本代表入りし、シドニー五輪にも出場するなど、アマ球界での経験は抜群。01年3月30日の
阪神との開幕戦(東京ドーム)に八番・捕手に起用された。巨人で新人捕手が開幕戦に出場を果たすのは78年の山倉以来、実に23年ぶりのことである。
巨人は2回に1点を先行し、なお一、二塁で、八番に起用された新人の阿部は阪神の先発である35歳で18年目の
星野伸之の4球目のフォークを二塁手頭上にはじき返した。3回にも阿部は中前に2点適時打を打ち、5打数2安打4打点の活躍でデビューを飾った。
オープン戦では打率.211で開幕戦出場を危ぶまれていた阿部は翌29日はベンチを温めたが、4月1日の3試合目は8回に代打で登場し、タイムリー。4試合目の4月3日の
ヤクルト戦ではベンチにあったが、4日のヤクルト戦ではフル出場し4打数1安打。開幕からチーム13試合目の4月13日の横浜戦(東京ドーム)では4年ぶり先発の
河原隆一から5回に右翼へ本塁打。通算28打席目のプロ入り第1号であった。
こうして次第にプロ野球に慣れた阿部は閉幕したときには巨人の捕手では誰よりも多い125試合(捕手以外では2試合)にマスクをかぶっていた。
阿部に次ぐ捕手は村田真一の41試合であり、次いでは
吉永幸一郎の8試合、村田善則の6試合、小田幸平の4試合。阿部は本塁打も13本打ったが、阿部のほかにアーチを描いたのは村田真4本、吉永1本。阿部は新人ながら図抜けた成績を残していた。
他を圧倒する力で正捕手に定着した阿部
2年目になると127試合出場は1年目と同じだが・・・
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