
日生球場は高校時代レフトからライトスタンドを通って家に帰っていたわ。そして夏の甲子園大阪大会の決勝の地でもあったな
大阪球場はデカく感じた。日生球場は通学路やったな
ペナントレースのことを離れ、今週はやわらかいテーマで書いていきます。「たまにはいいですネ」と週ベの編集担当者、S君も了解です。
「で、何をテーマに? できればスタジアム物語ってのはどうですか。それなら特集とピッタリなんで」とS君。結局は“指令”です。分かりました。どうしてもS君ペースにはまってしまうオレなんですわ。
ということで、オレが経験してきた球場物語を記すことになりましたが、そうなれば話は古くなる。懐かしい名前が出てきますので、まずはよろしくお願いします。
岡田彰布=甲子園というイメージが強いと思うけど、実はオレの球場ルーツは、今はなき大阪球場なんですわ。南海ホークスの本拠地で、大阪ナンバにあった大阪球場……。オレは幼いころ、南海ホークス子どもの会に入っていたわけ。というのも所属していた少年野球チームがジュニアホークスであり、必然、ホークス子どもの会に入会していた。当時は野村(
野村克也)さん、広瀬(
広瀬叔功)さんらが現役で、南海ホークスが強い時代。その子どもの会の野球大会があり、小学校4年だったオレは、そこで大阪球場のマウンドに立った。これがプロ野球が行われる球場でのデビューで、野球人・岡田彰布のルーツってことになる。
そら、うれしかったわ。プロ野球選手が戦うグラウンドに、足を踏み入れ、そこに立っている喜びったら、ホンマ、スゴかった。「こんなに広いところでプレーしてるんや……」と見渡していた。狭い球場といわれていた大阪球場やったけど、小さなオレらにしたら、とんでもなく大きな球場……。そう感じていたもんな。
この大阪球場が原点なら、最もなじみの深かったのが近鉄バファローズの本拠地、日生球場となる。日生球場は大阪城のすぐ近くにあり、最寄り駅は森ノ宮。オレの実家である大阪玉造から歩いて10分から15分。球場の横にバッティングセンターがあり、そこにもよく通ったし、大阪城も練習場所やったから、日生球場はいつも間近に見ていたよね。
高校は北陽高に進んだのだが、通学は森ノ宮駅を利用するわけ。夜に帰ってくるんやけど、日生ではゲームが行われている。この球場は試合の7回が過ぎると、当時は外野が無料開放されるわけよ。そういうときは、オレ、レフトの入口から入って、ライトの出口に向かって実家に戻るルートにしていた。いわゆる“ショートカット”よ。そのとき、外野席を横切るんやけど、お客さんはホンマ、少なかったよな。ガラガラの外野席……というのが日生球場の思い出やったわ。
でもネ、この日生球場が、オレを甲子園に導いてくれる最高の舞台になるのやから、不思議な縁なんよな。オレは高校時代、1度だけ甲子園に行っている。それは北陽高の1年の夏。当時は甲子園で優勝するより、大阪で優勝するほうが難しいと評された時代よ。オレは1年でレギュラーやった。迎えた大阪の夏の大会……。北陽高は順調に勝ち進んで、ついに決勝にたどり着いた。相手はホンマに強かったPL学園高・・・
この続きはプレミアムサービス
登録でご覧になれます。
まずは体験!登録後7日間無料
登録すると、2万本以上のすべての特集・インタビュー・コラムが読み放題となります。
登録済みの方はこちらからログイン