
2005年の阪神優勝の原動力はまさにこの3人やったよ。04年に藤川[左]と久保田[右]を中継ぎとして試し05年に花開き、ウィリアムス[中央]とともに最強の勝利の方程式「JFK」を形成した/写真=BBM
机に置かれた紙キレにオレの辞任の知らせが……
8年前になる。2012年シーズン、オレは
オリックスの監督3年目を戦っていた。だが、成績に反映されず、もちろん責任を感じていた。だから今季限りで辞任する……と決めていた。最後の遠征やったと思う。球団サイドと話し合い、最後まで指揮して終わろう、となっていた。
ところが遠征から帰り、球場に行くと何やら騒がしい。監督室に入って驚いた。紙が一枚置かれていた。そこにはオレがこの日、ベンチを外れ、そのまま監督を退くと記されていたのだ。「エッ?」と思った。最後まで戦う……と決まっていたのに何で? 番記者にプレスリリースがあり、途中退団が決定していた。
親しい記者は怒っていたわ。「紙切れ一枚で終わりですか。あまりにひどい仕打ちやないですか」。オレは試合前に球場を出て、記者たちと食事に向かった。そこまで監督だったのに、試合を食事処でテレビ観戦なんて……。ありえない光景やった。それでもオレは記者にこう伝えた。「紙一枚であっても、これは契約社会のこと。そういう中で生きてきたんやし、もう契約しない……となれば、従うしかないやん。これが契約というもんなんやからな」と。
そんな8年前のことを思い出した。オリックスの西村(
西村徳文)監督が・・・
この続きはプレミアムサービス
登録でご覧になれます。
まずは体験!登録後7日間無料
登録すると、2万本以上のすべての特集・インタビュー・コラムが読み放題となります。
登録済みの方はこちらからログイン