
オレもキャンプ中に大山の打撃を指導したけど、ずいぶんよくなった。これならホンマにホームラン王も夢じゃないとは思うけどな[写真=梅原沙織]
プロを教えてもらった村田さんに感謝しています
「そらそうよ」400回の節目は、悲しい知らせから始まる。「マサカリ投法」で一時代を築いた
村田兆治さんの訃報である。自宅の火災により亡くなられた。
年齢は2世代ほど上の名投手で、親しく話をすることはなかった。だが村田さんとは「衝撃」という出会いがあった。1980年、オレのプロ1年目やった。このシーズン、いろいろあって出場機会はそれほど多くなかった。しかしオールスターのファン投票で選ばれた。これはうれしかったし、パ・リーグの投手との対戦は楽しみで仕方なかった。
そこで村田さんの話題になった。先輩からは「すごいフォークボールやぞ」と聞かされた。それでも自信はあった。大学時代、フォークボールを投げる投手はいたし、それをことごとく打ってきた。フォークボールへのアレルギーはなかった。
そして初めての村田さんとの対戦……。ホンマ、びっくりこいた。「こんなボールがあるんか」と呆然と見送るしかなかった。普通・・・
この続きはプレミアムサービス
登録でご覧になれます。
まずは体験!登録後7日間無料
登録すると、2万本以上のすべての特集・インタビュー・コラムが読み放題となります。
登録済みの方はこちらからログイン