
イチローはやはり仰木さんと出会ったことで、あの才能が花開いたし、その後の努力もあって日米の野球殿堂入りを果たした。まあ、入るべくして入ったと言ってもいいわな[写真=BBM]
仰木さんに導かれイチローと同じチームに
うれしいニュースが飛び込んできた。日本時間の1月22日の朝。テレビに流れた「イチローのアメリカ野球殿堂入り」の一報。間違いないと思っていたけど、こうして正式に決まって、ホンマ、日本のみんなが喜んだと思う。それほどの快挙というのかな。あらためてイチローの功績が認められたということなんやな。
いまはイチロー氏と呼ばないといけないが、あえて「イチロー」と記させてもらう。彼を初めてじっくりと見たのは、いまから31年前の2月やった。その前年、オレは
阪神タイガースを戦力外になり、その後の進むべき道を模索していた。このまま現役を引退するか、それとも他球団に移籍するか。悩みに悩んだところに声を掛けてくれたのが
仰木彬さんやった。
「岡田よ、
オリックスに来い。そこから指導者の道を進め」とありがたいオファーを受け、仰木さんが監督のオリックスに入ることを決めた。
年が明け、1994年の沖縄・宮古島のキャンプだった。仰木さんに呼ばれた。グラウンドでは若手選手がフリーバッティング。ひとりの選手を指さし、「岡田よ、アイツのバッティング、どう思う?」と聞かれた。そのアイツがイチローだった。仰木さんを見ると・・・
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