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岡田彰布コラム

岡田彰布コラム「大恩人の吉田義男さんが逝く。悲しくて、寂しいよな 昨年までの捕手の起用法は梅野と坂本をどう生かすかやった」

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吉田さんが1985年、オレをセカンドにコンバート。さらにリーグ優勝と球団初の日本一にまでに導いてくれた。オレにとってはやはり恩人なだけに、寂しいし悲しいよ[写真=BBM]


吉田監督の教えで何度も救われたよ


 悲しくて、寂しくて……。吉田義男さんの訃報が届いた。享年91歳。本当にありがとうございました。この言葉しか、今は見つからない。

 阪神を初めての日本一に導いてくれた1985年。ここがオレのプロ野球人生の転機でもあった。足の故障で苦しんでいたオレを、外野から二塁手にコンバート。これが吉田さんの発案だった。事前に「二塁、いけるか。足は大丈夫か」と伝えられた。「いけます!」。こう返事すると、それまで内野だった真弓(真弓明信)さんに外野への配置転換を通達。決めたら早い。決断の監督だった。

 85年の2月。高知・安芸でのキャンプは想像を絶するほどのハードなものやった。二遊間コンビを組む平田(平田勝男=現二軍監督)と2人。サブグラウンドでのコンビネーションプレーは日が落ちるまで続いた。吉田さんの命を受けたコーチの一枝(一枝修平)さんの激しいノックが飛ぶ。平田と2人、ヘロヘロになったけど、「センターラインの強化」のためだ。充実感が込み上げた春だった。

 あれが原点。「守りも攻める」。吉田さんの持論を理解することができた。自分が監督になり、「吉田の教え」に何度も救われた。だから……、ありがとうございました、しかないのだ。

 昨年の暮れ・・・

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岡田彰布のそらそうよ

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選手・監督してプロ野球で大きな輝きを放った岡田彰布の連載コラム。岡田節がプロ野球界に炸裂。

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