
山本などは特にそうだが、日本の投手はきめ細やかな投球をすると、メジャーからも認識されているし、活躍する可能性は大きいよね[写真=Getty Images]
アメリカ遠征で本塁打を打ちあの選手ほしい、となったらしい
今週、週ベの特集は日本人メジャーについて取り上げるとのこと。今年、海を渡る岡本(
岡本和真=ブルージェイズ)、村上(
村上宗隆=ホワイトソックス)、今井(
今井達也=アストロズ)を含め、これまでメジャーでプレーした日本人選手は合計で77人を数えるとのことよ。そこで担当のS君が「岡田さんもその中のひとりになっていた可能性は?」と能天気に聞いてきた。
そんな気はまったくなかったわ。ただね、こんな話を耳にしたことがある。それは早稲田大3年のとき、アメリカ遠征があったのよ。戦った中には、のちに
ヤクルトに入った
ボブ・ホーナーがいたな。ある試合で、ドラフト上位候補の投手から、オレはホームランを打った。そのときに見に来ていたメジャーのスカウトが監督の石山(石山健一)さんに「あの選手、このままアメリカに残せないか」と言ってきたらしいわ。まあ、オレの中でメジャーに関連した話はこのくらい。当時はやっぱり遠い存在やったよね。

早大3年のアメリカ遠征ではヤクルトで「赤鬼」と言われ大活躍したホーナーも対戦相手におったわ[写真=BBM]
メジャー絡みでいえば、こんな話もある。オレは現役時代、選手会の会長を務めた。そのときに起きたのが
野茂英雄(ドジャース)のメジャー移籍問題やった。1994年オフやったな。近鉄との交渉が進まずに野茂サイドから、選手会と相談したいとの連絡があった。それで直接会う日を決めた。そのときに起きたのが95年1月17日の
阪神淡路大震災やった。
オレは高知にいて身動きが取れず、野茂も動けなかったため、話し合いは流れた。その後、野茂は村上(
村上雅則=当時ジャイアンツ)さんに続く日本人2人目のメジャー・リーガーになっただけに、幻の会談を思い出すことがあるよね。
WBCで盛り上がるからこそメジャーとの関係を見直すとき
あれから77人目の日本人メジャー選手か……。ホンマ、メジャーは近い存在になったけど、これはメジャーのレベルの低下と日本野球の向上、これが相まっての結果やとオレは感じている。中でも日本人投手のレベルの高さはアメリカも率直に認めているんやないかな。だから打者と投手、どちらがメジャーで成功するかといえば、断然「投手」とオレは結論を出すよね。
バッターの場合、やっぱりパワー勝負では劣るところがある。まあ大谷(
大谷翔平=ドジャース)は別格で比較しようがないけど、結果を残したのは
松井秀喜(元
ヤンキースほか)、
イチロー(元マリナーズほか)くらいやないかな。そこにはやっぱりパワーでは……という壁があると見る。
その点、投手は日本人投手の特徴的な細かさがパワーを上回ることになる。球のキレ、コントロールの良さ、豊富な変化球などなど、成功する要素を身につけている。
山本由伸(ドジャース)は典型的な例だが、過去をさかのぼれば野茂、松坂(
松坂大輔=元レッドソックスほか)、田中マー君(
田中将大=元ヤンキース)、黒田(
黒田博樹=元ヤンキースほか)、大魔神佐々木(
佐々木主浩=元マリナーズ)、ダルビッシュ(
ダルビッシュ有=パドレス)といった系譜があり、それは山本、佐々木(
佐々木朗希=ドジャース)、今永(
今永昇太=カブス)らに引き継がれている。
だから……ということで岡本、村上も絶対に打てるといった保証はない。それほどバッターは厳しいわけで、その点でいくとオレは今シーズン、最も結果を残すのが今井と思っているわ。

今回3人が新たにメジャー移籍をするけど、オレの中では今井が一番活躍しそうやと思うわ[写真=BBM]
大谷のすごい活躍で、そらあこがれは強くなる一方だが、やはりメジャーに行くにも何がしかの制約が必要……とオレはホンマに強く考えるようになった。特に海外FAではなく、ポスティングシステムでの移籍よ。これでいくと日本球界は大変なことになる。だからルール作りが必要であり、今がその時やないかな。メジャーに行った場合、何年間は日本球界に復帰できないとかのルール作り。そういう危機感を球界は持っているわけよね。
今年はWBCが開催され、侍ジャパンのメンバーが大いに注目されている。それはうれしいことだけど、同時に横たわるメジャーとの関係……。これも冷静に見直す時にある、とオレは強く言いたいのだ。(阪神タイガースオーナー付顧問)
PROFILE 岡田彰布/おかだ・あきのぶ●1957年11月25日生まれ。大阪府出身。北陽高では1年夏の甲子園に出場し、早大では東京六大学リーグ歴代1位の打率(.379)と打点(81)をマーク。80年ドラフト1位で阪神に入団。1年目からレギュラーとして新人王を獲得。21年ぶりのリーグ優勝、日本一を達成した85年は五番打者としてベストナイン、ゴールデン・グラブ賞。94年に
オリックスへ移籍し、95年限りで現役引退。通算1639試合、打率.277、247本塁打、836打点。オリックスで2年間指導の後、98年に阪神復帰。二軍監督などを経て、04年から08年まで監督を務め、05年はリーグ優勝に導いた。10年から12年はオリックス監督。22年秋に15年ぶりに阪神の監督に復帰。23年は18年ぶりにリーグ優勝&38年ぶり2度目の日本一に導いた。24年は惜しくもリーグ2位で終わり、契約満了で退任。オーナー付顧問に就任した。